2-24-9-25(作業日誌518)
2024年 9月25日(水) 曇 サーカス資料館 5日目
昨夜はそれほど寒くなかったはずだが、寝ついたと思われる時に寒くて目が覚めた。寝つきの時に体温が下がるのか身体が冷えるようだ。そういえば、この冬の間、やはり寝つきに身体が冷えてきて毛布を一枚足さないことには眠れなかった。あるいは、眠りに落ちる直前、身体が冷えるというのは、ある程度、年をとれば一般的なことなのだろうか。若い時には経験しなかつたことなのでそんなことも考えてしまう。
今年の冬は間違いなく、電気アンカのようなものを使わないと寝つけないかもしれない。 古い足温器のようなものはあるが、古いので低温火傷しないとも限らないなと、こいつを使うのはいささか不安だよなと思っている。
*
旅芸人司祭、という言葉が頭の片隅で揺れている。ノスタルジックに響いてくる。なぜだろうか。果たしてヨーロッパあたりには今もいるのだろうか。昨今の大道芸フェスタの情報はからはまず旅芸人司祭どころか、旅芸人という言葉もほぼ聞こえてこない気がする。ヨーロッパの旅芸人の映画、フェリー二の『道』などを思い出せば、そこに旅芸人司祭が登場しても可笑しくにないように思われるが。
それはそれとして、「サーカスとリヤカー」の世界は、今様な大道芸の世界にはやはり合わない気配を漂わせていないか。僕はそこで何を期待していたのだろうか。何を表現しようとしてのだろうか。時代にマッチした作品、今に受ける作品を作ろうとしていたのではないのは確かだ。むしろサーカスを含めて現代の文化の流れに杭というか傷を負わせるような活動をしたかったのではないか。少しも傷を負わせることができなかったが、、、。
もう一度、それをしっかり考えて見る。
9月24日(火) 晴 サーカス村に移動 5日目
資料館について、フジマートで購入した中華丼弁当を温めて食べる。甘すぎだ。きっともう買わないだろう。自宅用に日本酒赤城山の一升瓶を買う。ほかに食材を買って、5,435円なり。一度、サーカス村に移動すると、交通費はガソリン代を入れて11,000円で3、4日分の食材が5,000円弱。コンビニで700円ほど。つまり16,700円程度かかるのだ。それを月に2度とすると、33,400円ほど。痛いなあ。というほど、年金暮らしは大変なのだよ。その他は本代は10,000円弱。タバコが8,000円かな。つまり50,000円強くらいは出てしまうということだ。考えなくては、、、。
*
『道化師の罠』書き始めを変更しよう。旅先で時間ができたので散歩の出た公園で彼に会うというふうに。
9月23日(月)雨のち晴 4日目
“道化師”の物語が書けない。行きづまっている。道化師の演技、そこに流れる時間に引きずり込まれてなくてはならないのだが、常識が邪魔をして入れないでいる。道化師が作り出している時間、空間と見ている者との間の壁にどうすれば穴を開けられるのか。
そこに穴を開けるミノはどのようなものなのだろうか。ひとつは道化師が演技している時間そのものを表現することに違いないのだが、その時間をうまく表現できないところに“壁”があるのだが。さて?
9月22日(日)雨のち曇り 3日目
9月19日、車の教習所からの帰りに、この12月の免許の更新ができたら後3年強は車を使うつもりと考えて、後、3年強の日数を数えようかと思ったりして、今日は3日目になる。まあ、この3年強、真面目にというか考えていることをなんとか実現する気持ちを持ってと思っているが、さて、どこまでできるか。
実は今取り組んでいる短編小説『魂の道化師』さえ行き詰まってきていて、この作品のなかの解決の糸口がみつからない状況だ。ここを、この壁を超えないことには、先はないのだが。むりにでもこじ開ける、乗り越えなければならないぞ。クソーッ!
9月21日(土) 曇 自宅
昨日サーカス資料館で、この12月に運転免許書き換えれば、あと3年間、つまり84歳を迎えるまで運転できることになるが、まあ、そこらへんが運転の打ち止めの時かなと思ったりする。で、今からそれまでの3年3ヶ月を大事に生きなければと、1日1日を大切に過ごさなければと考えるが、といって、これまでの日常の送り方と何かを変えるということではないのだが。ただ、常に身辺整理のつもりで過ごすつもりだ。まあ、何か買いたくても今や先立つものがないので、余計な買い物をするとは思えないし、多分、映画も芝居もダンスも大道芸も、そしてサーカス公演さえも多分、あまり観に行くことはないだろうという気がする。なにか突き刺さるものがあれば別だが。
昨夜はそれほど寒くなかったはずだが、寝ついたと思われる時に寒くて目が覚めた。寝つきの時に体温が下がるのか身体が冷えるようだ。そういえば、この冬の間、やはり寝つきに身体が冷えてきて毛布を一枚足さないことには眠れなかった。あるいは、眠りに落ちる直前、身体が冷えるというのは、ある程度、年をとれば一般的なことなのだろうか。若い時には経験しなかつたことなのでそんなことも考えてしまう。
今年の冬は間違いなく、電気アンカのようなものを使わないと寝つけないかもしれない。 古い足温器のようなものはあるが、古いので低温火傷しないとも限らないなと、こいつを使うのはいささか不安だよなと思っている。
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旅芸人司祭、という言葉が頭の片隅で揺れている。ノスタルジックに響いてくる。なぜだろうか。果たしてヨーロッパあたりには今もいるのだろうか。昨今の大道芸フェスタの情報はからはまず旅芸人司祭どころか、旅芸人という言葉もほぼ聞こえてこない気がする。ヨーロッパの旅芸人の映画、フェリー二の『道』などを思い出せば、そこに旅芸人司祭が登場しても可笑しくにないように思われるが。
それはそれとして、「サーカスとリヤカー」の世界は、今様な大道芸の世界にはやはり合わない気配を漂わせていないか。僕はそこで何を期待していたのだろうか。何を表現しようとしてのだろうか。時代にマッチした作品、今に受ける作品を作ろうとしていたのではないのは確かだ。むしろサーカスを含めて現代の文化の流れに杭というか傷を負わせるような活動をしたかったのではないか。少しも傷を負わせることができなかったが、、、。
もう一度、それをしっかり考えて見る。
9月24日(火) 晴 サーカス村に移動 5日目
資料館について、フジマートで購入した中華丼弁当を温めて食べる。甘すぎだ。きっともう買わないだろう。自宅用に日本酒赤城山の一升瓶を買う。ほかに食材を買って、5,435円なり。一度、サーカス村に移動すると、交通費はガソリン代を入れて11,000円で3、4日分の食材が5,000円弱。コンビニで700円ほど。つまり16,700円程度かかるのだ。それを月に2度とすると、33,400円ほど。痛いなあ。というほど、年金暮らしは大変なのだよ。その他は本代は10,000円弱。タバコが8,000円かな。つまり50,000円強くらいは出てしまうということだ。考えなくては、、、。
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『道化師の罠』書き始めを変更しよう。旅先で時間ができたので散歩の出た公園で彼に会うというふうに。
9月23日(月)雨のち晴 4日目
“道化師”の物語が書けない。行きづまっている。道化師の演技、そこに流れる時間に引きずり込まれてなくてはならないのだが、常識が邪魔をして入れないでいる。道化師が作り出している時間、空間と見ている者との間の壁にどうすれば穴を開けられるのか。
そこに穴を開けるミノはどのようなものなのだろうか。ひとつは道化師が演技している時間そのものを表現することに違いないのだが、その時間をうまく表現できないところに“壁”があるのだが。さて?
9月22日(日)雨のち曇り 3日目
9月19日、車の教習所からの帰りに、この12月の免許の更新ができたら後3年強は車を使うつもりと考えて、後、3年強の日数を数えようかと思ったりして、今日は3日目になる。まあ、この3年強、真面目にというか考えていることをなんとか実現する気持ちを持ってと思っているが、さて、どこまでできるか。
実は今取り組んでいる短編小説『魂の道化師』さえ行き詰まってきていて、この作品のなかの解決の糸口がみつからない状況だ。ここを、この壁を超えないことには、先はないのだが。むりにでもこじ開ける、乗り越えなければならないぞ。クソーッ!
9月21日(土) 曇 自宅
昨日サーカス資料館で、この12月に運転免許書き換えれば、あと3年間、つまり84歳を迎えるまで運転できることになるが、まあ、そこらへんが運転の打ち止めの時かなと思ったりする。で、今からそれまでの3年3ヶ月を大事に生きなければと、1日1日を大切に過ごさなければと考えるが、といって、これまでの日常の送り方と何かを変えるということではないのだが。ただ、常に身辺整理のつもりで過ごすつもりだ。まあ、何か買いたくても今や先立つものがないので、余計な買い物をするとは思えないし、多分、映画も芝居もダンスも大道芸も、そしてサーカス公演さえも多分、あまり観に行くことはないだろうという気がする。なにか突き刺さるものがあれば別だが。
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