2024-9-30(作業日誌519)
2024年 9月30日(月)曇 シアターX へ
いつもは11時からなのだが、今日は誰かさんの都合で2時からとなったIDTF会議。11時過ぎに家を出て向かう。両国駅前のその名も、文殊というカウンターの蕎麦屋に入って、うどん定食(素うどんと小さい鳥肉の小さな丼、650円)を食べてシアターXに。例によって、あまり内容のある話し合いにならず。IDTF会議の通信を出したらどうかという話も尻切れとんぼに終わったようだ。通信を出すのはいいが、誰がやるかでストップしたような誰かがやるような、、。
先日行われたヤン・フォッセの『ぼくは風』の台本を読みたいと思い、借りる。帰りの電車の中で読んだが、それほど面白いと思わなかった。芝居としてみればまた違った印象を受けたと思うが。小説『朝と夕』で受けた感銘のようなものは得られなかった。
で、帰宅は6時過ぎ。
*
きらりのサーカスバザールについて。メインホールのショーは、舞台は海中で、そこでのサーカスショーにしてはどうかと思いつく。舞台は海中、そこでの空中ブランコ、シフォン、クラウドスィング。それに綱渡りやジャグリング、シルホィールということになる。さて、クラウンとして誰をつかうかだ。
それとは別に、サーカス学校生がいないとなると、ワークショップや水上ステージの大道芸をどうするか。この二つを行える卒業生が思いつかない。
9月29日(日)曇 外出せず (9日目)
行きたいというかいったほうがいいかもしれないイベントの会場が2箇所あるのだが、日和っている。理由をいろいろと考えると、根底に、最近の大道芸フェスや大型イベントが楽しく面白く、すごいなという印象で、お客が喜んでいる姿にいささかうんざりしているかもしれない。どうやら僕はそうしたパフォーマンスを楽しむ気持ちが湧いてこないのかもしれない。正直、何をそんなに楽しんでいるの? もう少し考えることがあってもいいんじゃないの? という冷ややかな気持ちがどうしても湧いてきてしまうのだ。と言って、何かの抗議集会や反原発集会、イスラエルジェノサイド抗議に出かけたりせず、ただ愚痴を垂れ流しているだけなので、正直、どうしようもなくただ老人化していると思う。出かければいいのかもしれないが、その踏ん切りがつかないでいる。
*
最近読んだヨン・フォッセの『朝と夕』について、朝日新聞の文芸時評で古川日出男が書いている。(2024/9/27)
「ヨン・フォッセ『朝と夕』はしかしひとりの人間のその“生”の内側にあるであろう数十年間を、意図して描かない。ある人間が生まれる直前直後、そしてこの地上の止まる
限界のその先(とは死である)の直後、この点にだけ焦点を絞った構成を採る。にもかかわらず一人の人間を産んだ親たち、さらには姉やその他の親族、土地に住人たちまでもが鮮やかに“生”を浮かび上がらせている。それを成し遂げているのは、あるべき箇所に句点のない特徴的な文体であって、すなわち「文章の終わった印」の投じられない作品世界の内部では、誕生のその前も逝去のその後も“物語”に見事につながれるのだ」
しっくりいかない書評である。僕の読後感では、ボケていく男の意識の錯綜が、老人の最終局面の生の呼吸のようなものを伝えてくるようで、読んでいて自然のこの漁師であった人の生き方に寄り添えたのだが。
9月28日(土) 曇 会報発送 (8日目)
一日中曇りで、雨はなし。この間の大雨注意報は完全に外れだ。
一日、サーカス村会報の発送に追われる。まだ、100通ほど送らなければならない。できれば、郵送の人たちが少しでも多くメール添付者に移行してくれるとありがたいのだが。ただ、メールになると、ちょっと一筆書いてというわけにはいかないので、近況報告ができないのがなんとなく寂しいとも思う。まあ、これまで一筆書いて同封しても、ほとんど返事は来ないので、まあ、片思いみたいなところはあったが。
どうしてもという場合は、別途、メールをするか手紙を書けばいいのだが、そうなると、それも、何を書くか考えなくてはならないので、面倒といえば面倒な作業になる。
ただお元気ですか?というの、芸がないし、、。
今日は発送作業に追われたので、書き物はできなかった。明日は、やらねばと思うが、さて、できるかな。
9月27日(金) 葉山へ 7日目
朝7時に資料館を出発、自宅へ。大雨注意報が出ているので、途中で、大雨に見舞われるのはごめんだと、早めに出発。あまり降られることなく移動、ただし、横横高速に入って急にかなりの雨。ただし、運転に支障があるほどではなく無事に横横を通過。
葉山に出る頃には小降りになり、駐車場に車を止めて家まで帰る時には、ほんの小降りになっていたので大いに助かった。で、赤城山の一升瓶も持って帰れた。雨がひどかったら、明日にでも運ぼうかと考えていたが。
9月26日(木) サーカス学校へ 6日目
来年のきらり公演について少し話をする。新しいテーマを創りたいが、それについてはまだ明確にイメージできないので話はしないでおいた。
あとは、資料館で資料整理。古い新聞や雑誌のコピーを読み直すのは、結構楽しいし、サーカスに対する考えが今と随分違うので、それが面白いのだ。それにしても、現代のサーカスからはあまり文化的な言葉、批評が生まれてきていない気がする。単なる娯楽になっているのかもしれない。
いつもは11時からなのだが、今日は誰かさんの都合で2時からとなったIDTF会議。11時過ぎに家を出て向かう。両国駅前のその名も、文殊というカウンターの蕎麦屋に入って、うどん定食(素うどんと小さい鳥肉の小さな丼、650円)を食べてシアターXに。例によって、あまり内容のある話し合いにならず。IDTF会議の通信を出したらどうかという話も尻切れとんぼに終わったようだ。通信を出すのはいいが、誰がやるかでストップしたような誰かがやるような、、。
先日行われたヤン・フォッセの『ぼくは風』の台本を読みたいと思い、借りる。帰りの電車の中で読んだが、それほど面白いと思わなかった。芝居としてみればまた違った印象を受けたと思うが。小説『朝と夕』で受けた感銘のようなものは得られなかった。
で、帰宅は6時過ぎ。
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きらりのサーカスバザールについて。メインホールのショーは、舞台は海中で、そこでのサーカスショーにしてはどうかと思いつく。舞台は海中、そこでの空中ブランコ、シフォン、クラウドスィング。それに綱渡りやジャグリング、シルホィールということになる。さて、クラウンとして誰をつかうかだ。
それとは別に、サーカス学校生がいないとなると、ワークショップや水上ステージの大道芸をどうするか。この二つを行える卒業生が思いつかない。
9月29日(日)曇 外出せず (9日目)
行きたいというかいったほうがいいかもしれないイベントの会場が2箇所あるのだが、日和っている。理由をいろいろと考えると、根底に、最近の大道芸フェスや大型イベントが楽しく面白く、すごいなという印象で、お客が喜んでいる姿にいささかうんざりしているかもしれない。どうやら僕はそうしたパフォーマンスを楽しむ気持ちが湧いてこないのかもしれない。正直、何をそんなに楽しんでいるの? もう少し考えることがあってもいいんじゃないの? という冷ややかな気持ちがどうしても湧いてきてしまうのだ。と言って、何かの抗議集会や反原発集会、イスラエルジェノサイド抗議に出かけたりせず、ただ愚痴を垂れ流しているだけなので、正直、どうしようもなくただ老人化していると思う。出かければいいのかもしれないが、その踏ん切りがつかないでいる。
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最近読んだヨン・フォッセの『朝と夕』について、朝日新聞の文芸時評で古川日出男が書いている。(2024/9/27)
「ヨン・フォッセ『朝と夕』はしかしひとりの人間のその“生”の内側にあるであろう数十年間を、意図して描かない。ある人間が生まれる直前直後、そしてこの地上の止まる
限界のその先(とは死である)の直後、この点にだけ焦点を絞った構成を採る。にもかかわらず一人の人間を産んだ親たち、さらには姉やその他の親族、土地に住人たちまでもが鮮やかに“生”を浮かび上がらせている。それを成し遂げているのは、あるべき箇所に句点のない特徴的な文体であって、すなわち「文章の終わった印」の投じられない作品世界の内部では、誕生のその前も逝去のその後も“物語”に見事につながれるのだ」
しっくりいかない書評である。僕の読後感では、ボケていく男の意識の錯綜が、老人の最終局面の生の呼吸のようなものを伝えてくるようで、読んでいて自然のこの漁師であった人の生き方に寄り添えたのだが。
9月28日(土) 曇 会報発送 (8日目)
一日中曇りで、雨はなし。この間の大雨注意報は完全に外れだ。
一日、サーカス村会報の発送に追われる。まだ、100通ほど送らなければならない。できれば、郵送の人たちが少しでも多くメール添付者に移行してくれるとありがたいのだが。ただ、メールになると、ちょっと一筆書いてというわけにはいかないので、近況報告ができないのがなんとなく寂しいとも思う。まあ、これまで一筆書いて同封しても、ほとんど返事は来ないので、まあ、片思いみたいなところはあったが。
どうしてもという場合は、別途、メールをするか手紙を書けばいいのだが、そうなると、それも、何を書くか考えなくてはならないので、面倒といえば面倒な作業になる。
ただお元気ですか?というの、芸がないし、、。
今日は発送作業に追われたので、書き物はできなかった。明日は、やらねばと思うが、さて、できるかな。
9月27日(金) 葉山へ 7日目
朝7時に資料館を出発、自宅へ。大雨注意報が出ているので、途中で、大雨に見舞われるのはごめんだと、早めに出発。あまり降られることなく移動、ただし、横横高速に入って急にかなりの雨。ただし、運転に支障があるほどではなく無事に横横を通過。
葉山に出る頃には小降りになり、駐車場に車を止めて家まで帰る時には、ほんの小降りになっていたので大いに助かった。で、赤城山の一升瓶も持って帰れた。雨がひどかったら、明日にでも運ぼうかと考えていたが。
9月26日(木) サーカス学校へ 6日目
来年のきらり公演について少し話をする。新しいテーマを創りたいが、それについてはまだ明確にイメージできないので話はしないでおいた。
あとは、資料館で資料整理。古い新聞や雑誌のコピーを読み直すのは、結構楽しいし、サーカスに対する考えが今と随分違うので、それが面白いのだ。それにしても、現代のサーカスからはあまり文化的な言葉、批評が生まれてきていない気がする。単なる娯楽になっているのかもしれない。
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