2024-10-15(作業日誌522)
2024年 10月15日(火)晴 新聞整理 (25日目)
一週間分の新聞を整理する。相変わらずパレスチナの記事が多いが、アメリカのイスラエル支持に対して、若い人ほど批判的だという記事もある。米国に住んでいるユダヤ人ロビーが強い力を持っていて、アメリカの政治家たちはその力を無視できないというが、そうした権力に支配されているアメリカの民主主義ってなんだということではないのか。パレスチナでイスラエルの軍隊に殺されつづけているパレスチナの人々、一人の子供の命さえ守れないところに民主主義の正義のかけらのひとつもない。
10月14日(月) 晴 雑用整理 (24日目)
手紙の返信や提出書類の処理で一日が過ぎる。まあ、一日で片付けたのでヨシということか。一週間サーカス村に行っていると、家事もあれこれ。それもなんとか処理したが、まだ新聞が残っている。明日片付けよう。ということで、物語の再読校正は進んでいない。なんとかしなければならない。明日の新聞整理が終わったらやろう。なにしろこの山を越えないと、これからどう生きるか見えてこないし何をすべきかも見えてこないのだから。失敗なら失敗と、それを明確にしなければならない。
資料館での資料整理に手をつけているが、それも今のところどのようにやればよいのか、暗中模索状態。ある資料の一部を、日本のサーカス団と海外のサーカス団のものに分けたり、サーカス・批評論、サーカス・文学(日本編、海外編)、サーカス・記事でまとめたりしている。クラウンは別のファイルに。ただファイルしている絵画、映画、演劇というのもあるので、それらも見なさなければならないと思うが。それらを、年代順の全体の目録にするかどうか。とにかく、大変な作業だ。それに、ここ20年ぐらいは、新聞はほぼ朝日も東京版にしか目を通していないし、雑誌などはほぼチェックしていないので、情報収集がまるで不足している状態だ。それでも、目録を作る意味があるだろうか。疑問に思えなくもないのだが。
まあ、目録を作れという先輩諸氏は多いのだが、とにかく簡単ではないのだ。
短期決戦するのではなく長い時間をかけるつもりで、日々、すこしずつチャレンジしていくことにしよう。自戒を込めて。
10月13日(日) 晴 葉山戻り (23日目)
8時半頃に資料館を出て、葉山帰り。2時着。関越の下りが混んでいる。行楽客だろうか。登りは空いていたが、それでも関越の三芳SAは家族ずれで大賑わいであった。
環八は第三京浜に入る手前が相当混んでいた。
葉山についてラーメン食べて、昼寝。夜もほぼぼやけていて使い物にならず。
10月12日(土) 晴 童謡ふるさと館での催し (22日目)
群馬県下の障害者の作品展とひびきみかの公演。その取り合わせはよくわからないが、ひびきみかは障害者施設などで踊ったり他の活動も行なっているので、この催しは不思議ではないのだが。だが、ここ童謡ふるさと館でこのような催しがおこな割れるのがなんとなく不思議というか、まあ、県の文化事業の一環なのだろう。
10月11日(金) 晴 資料館で資料整理 (21日目)
童謡ふるさと館で、明日行われるひびきみかの踊りのリハ。2時すぎに顔を出す。
リハの後、ひびきさんと音楽家で演出の陣内さんが資料館を覗いてくれる。ひびきさんは一度、じゅっくり資料を見たいといっていたが、さて、どうなるか。
岡本逹明さんから手紙。今後、サーカス村会報をできるかぎりメイル添付にしたいというお知らせへの返事で、師はパソコンでメールのやり取りはしていないので、今後も、郵送でお願いしたいという連絡。
一週間分の新聞を整理する。相変わらずパレスチナの記事が多いが、アメリカのイスラエル支持に対して、若い人ほど批判的だという記事もある。米国に住んでいるユダヤ人ロビーが強い力を持っていて、アメリカの政治家たちはその力を無視できないというが、そうした権力に支配されているアメリカの民主主義ってなんだということではないのか。パレスチナでイスラエルの軍隊に殺されつづけているパレスチナの人々、一人の子供の命さえ守れないところに民主主義の正義のかけらのひとつもない。
10月14日(月) 晴 雑用整理 (24日目)
手紙の返信や提出書類の処理で一日が過ぎる。まあ、一日で片付けたのでヨシということか。一週間サーカス村に行っていると、家事もあれこれ。それもなんとか処理したが、まだ新聞が残っている。明日片付けよう。ということで、物語の再読校正は進んでいない。なんとかしなければならない。明日の新聞整理が終わったらやろう。なにしろこの山を越えないと、これからどう生きるか見えてこないし何をすべきかも見えてこないのだから。失敗なら失敗と、それを明確にしなければならない。
資料館での資料整理に手をつけているが、それも今のところどのようにやればよいのか、暗中模索状態。ある資料の一部を、日本のサーカス団と海外のサーカス団のものに分けたり、サーカス・批評論、サーカス・文学(日本編、海外編)、サーカス・記事でまとめたりしている。クラウンは別のファイルに。ただファイルしている絵画、映画、演劇というのもあるので、それらも見なさなければならないと思うが。それらを、年代順の全体の目録にするかどうか。とにかく、大変な作業だ。それに、ここ20年ぐらいは、新聞はほぼ朝日も東京版にしか目を通していないし、雑誌などはほぼチェックしていないので、情報収集がまるで不足している状態だ。それでも、目録を作る意味があるだろうか。疑問に思えなくもないのだが。
まあ、目録を作れという先輩諸氏は多いのだが、とにかく簡単ではないのだ。
短期決戦するのではなく長い時間をかけるつもりで、日々、すこしずつチャレンジしていくことにしよう。自戒を込めて。
10月13日(日) 晴 葉山戻り (23日目)
8時半頃に資料館を出て、葉山帰り。2時着。関越の下りが混んでいる。行楽客だろうか。登りは空いていたが、それでも関越の三芳SAは家族ずれで大賑わいであった。
環八は第三京浜に入る手前が相当混んでいた。
葉山についてラーメン食べて、昼寝。夜もほぼぼやけていて使い物にならず。
10月12日(土) 晴 童謡ふるさと館での催し (22日目)
群馬県下の障害者の作品展とひびきみかの公演。その取り合わせはよくわからないが、ひびきみかは障害者施設などで踊ったり他の活動も行なっているので、この催しは不思議ではないのだが。だが、ここ童謡ふるさと館でこのような催しがおこな割れるのがなんとなく不思議というか、まあ、県の文化事業の一環なのだろう。
10月11日(金) 晴 資料館で資料整理 (21日目)
童謡ふるさと館で、明日行われるひびきみかの踊りのリハ。2時すぎに顔を出す。
リハの後、ひびきさんと音楽家で演出の陣内さんが資料館を覗いてくれる。ひびきさんは一度、じゅっくり資料を見たいといっていたが、さて、どうなるか。
岡本逹明さんから手紙。今後、サーカス村会報をできるかぎりメイル添付にしたいというお知らせへの返事で、師はパソコンでメールのやり取りはしていないので、今後も、郵送でお願いしたいという連絡。
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