2024-10-25(村長日記524)
2024年 10月25日(金) 雨&曇 会報原稿を書く (33日目)
11月24日の総会案内を入れた会報を急ぎ作らねばならない。今日中に仕上げ、長屋君に添付メールを送ろうと思う。大須賀さんにも、事業計画など見てもらわなければ。
今日まで、サーカス村に滞在。なんとか、『団長のサーカス』と『少女と黒あげは蝶』の手入れを済ませて、葉山戻りたい。
車のエアーバック不調の赤ランプが点きっぱなしだ。
『リヤカーとサーカス』の次作品だが、シアターXのIDTFで公演した「ディズマーダンス」(不愉快なダンス)の構成が参考になるのではないかと思いつく。
あの時、カンボジアのポルポトのよる知識人虐殺、中近東からのボート難民、天皇、オスプレイ墜落などを素材としたダンス作品を創ったのではなかったか。
森洋子さんに、ダンボールで、墜落したオスプレイを作ってもらった満足したようなところがあった。終演後、舞監らがさっさと墜落したオスプレイを片付けてしまったのには、かなりムッとした記憶があるのだが、さっさと片付けないことには、次の作品が
できないからかもしれないが、こちらに一言あっても良かったのでないかと思った次第。
*
で、次回作は、南京大虐殺、原爆投下と被曝者(2024年ノーベル平和賞・被団協)、
原発事故、能登地震、パレスチナの大虐殺などを、さまざまな人の記憶の襞のなかから蘇らせる。つまり、それぞれの経験者のトラウマを描く。君にとってトラウマとはなにか。イスラエルによるパレスチナの子ども虐殺の写真を日々目にしながら何もしないで今日という時間を生きているが、20年後、なぜ、あの時何もしなかったかという悔悟から、その映像が夜な夜な浮かび上がり、それから逃げるために、闇バイト事件を起こす若者の意識の揺れを描けないか。
この、人の記憶を作り出すことで、とんでもない事件の記憶の継承を考える。それは、いささか蛇道(邪道)かもしれないが人々の記憶に留めてもらうためには、有効な手段といえるのではないか。
10月24日(木)雨&曇 ひびきみか嬢、資料館に (32日目)
赤城駅着8時51分という電車でやってくる。元気なものである。多分、還暦だ。ということで、8時過ぎに赤城駅まで出迎えに出る。
今は、朝食をすませ、散らかっている机の上を整理し、洗濯機を回す。
11時頃、シアターXで、よく舞台美術を行っている江連あかりさんが、ひびきみかさんに声をかけられて、資料館に。
森君が、ゼロックスのコピー機とわがオンボロパソコンを繋げてくれた。なにしろ、わがパソコンは古いので、すぐにはコピー機とつながらないのでありました。
ひびき、江連両嬢のために、玉子入り暖かうどんを作る。
3時すぎに、二人は引き上げていきましたとさ。
10月23日(水) 一時雨 サーカス学校
学校に顔をだし、稽古を見る。茨城県鉾田市の赤羽さんに、祖父のコートを送る。宮沢賢治の朗読をするときに、ぜひ、着てもらいたいとおもってのこと。僕のところにあっても、いつかは虫食いになって破棄することになるだろうから。
岡田陽一さんの助言をいただき、どんな形であれ、サーカス目録を作るべしと自己し叱咤して、少しばかり目録作りを行う。
『サーカスとリヤカー』収録予定の短編「少年のブランコ」再校。「団長のサーカス」に取り掛かる。あと「少女と黒アゲハ蝶」が残っている。そのあと、「サーカスとリヤカー」の手を入れるぞ。この「サーカスとリヤカー」再校のとき、『やし酒飲み』がどんな影響を及ぼすか、だ。
10月22日(火) サーカス村滞在 (31日目つまり一ヶ月だ)
なんとなく後2年半、つまり30ヶ月のうちに、サーカスの物語を書く、資料を整理する、車を運転するなどを終えようと思って、日数を数え始めている。一番は、車の運転を止めること、運転免許書の返納を考えてのことだ。葉山と群馬のサーカス村の往復がかなりきつくなってきたというか、無理をしないために車通いはやめたほうがいいと思い始めているからだ。
今日も、6時間近くかかってしまった。環八通過に時間がかかるのが原因だが、これは解消する見込みはないし、まあ、たまたま空いていることがあっても5時間を切れるかなというぐらいだろう。不思議なことに、ここ数年は車を運転していても眠くなることはない。ともかく、どこかで区切りをつけるべきで、何も2年半先に止めると言わずに、今日明日にでもやめていいのだが。
*
『やし酒飲み』を分析するのではないが、なんとかこの神話のような物語を活用できないかと読み返している。
今は、「不帰の天の町」への旅というところを読んでいる。
この町には、いままで見たこともないような、人間に対しては極めて残忍な敵意をむきだしにする、あきれ果てた人非人という設定なのだが、
「この未知の生物たちは、何かにつけて、人間の逆張りを行くのだった。たとえば、木に登る時には、まずハシゴに登っておいて(サーカス芸のハシゴ乗りか? 西田注)、そのあとから、ハシゴを木に持たせかけたし、また、町の近くに平地があるのに、家はすべて、傾斜の急な丘陵の中腹たてたし、 、、、」
という風に書かれているが、この文章で、サーカス好きのカフカがハシゴ乗りについて書いていることを思い出す人は多いのではないか。いま、その文章を正確には思い出せないが、カフカもハシゴ乗りが、ハシゴを登るのではなく、ハシゴの上から降りてくるようなイメージを抱いていたような気がするのだが。ただし、この『やし酒飲み』は、文学ではない。文学ではなく神話というべきなのだろう。
で、僕としては、たとえばハシゴ乗りをいかに認識すべきなのだが。竹馬でもいいが。いまのところ『サーカスとリヤカー』に、ハシゴ乗りのことは書いていない。ハシゴ乗りの短編を書く必要があるかも。書ければ素晴らしいと思うが。いや、書かなくてはならないよな、ただし今のところ、作品のへそが見当たらない。
10月21日(月)晴 サーカス村移動日 (30日目)
サーカス村入りの予定だったが、ある人のために書いた推薦状を入れた郵便物がまだ郵送されていないとのことで、今日届くか確認が必要なので、今はその連絡待ち。もしも今日届かないとなると、新たに書いて捺印して、明日本人に届けないと、締め切りに間に合わなくなる。
で、今日は『サーカスとリヤカー』に収録予定の短編の校正をしようと思いつつ、まだ手をつけていない。
今はぼんやりと『サーカスとリヤカー』に次に書こうと思っている作品仮題『サーカスがやってくる』の概要というかイメージをぼんやりと考えている。
つまり、どこかの国のサーカスがやってくるという噂が、<僕>の住む、すっかり寂れた街に流れてくる。噂は次々と届くのだが、いつまでたってもサーカスはやってこないという物語だ。その噂というのは、そのサーカス団がこれまで公演してきた街はどんなところであったというもの。例えば米軍基地の沖縄のようなところ、原発事故のあった福島のようなところ、そして自身災害のあった能登半島のようなところ。時代は昭和天皇の時代、平成天皇の時代、そして令和天皇の時代、あるいは明治時代、大正時代、江戸時代などなど、様々な時代、状況、事故や事件などの抽象的に描き、そこでサーカスがどのような目にあってきたかが、この寂れている街に噂として流れてくる。そこに住む俺たちは噂に翻弄されつつも、なんとか生きているというもの。そんなものが書けるのだろうかと思いつつ、エイモス・チュツオーラ著『やし酒飲み』を下敷きに書こうと思ってるのだが。99%、無理かもなと思いつつ。いや、この思いつきで5%の可能性が出てきたと思うことにする。
出だしはこうだ。「サーカスがやってくるらしいぜ」という噂を流しているのは、隣町のカラオケバーなぎさに入浸りのツトムだ。本人に問いただすと、彼が入浸りのカラオケスナックでこれまであったことのない、この店に現れる客としてはまず見かけることのないスーツ姿の二人ずれの男がスナックのママのなぎささんに、半年ほど先になると思うけど、A市からB市に移動する時ここを通過するので、2、3日だけどこの街で公演することになると思うよと自信ありげに話をして、ママを招待したいと抜かしたということであった。
11月24日の総会案内を入れた会報を急ぎ作らねばならない。今日中に仕上げ、長屋君に添付メールを送ろうと思う。大須賀さんにも、事業計画など見てもらわなければ。
今日まで、サーカス村に滞在。なんとか、『団長のサーカス』と『少女と黒あげは蝶』の手入れを済ませて、葉山戻りたい。
車のエアーバック不調の赤ランプが点きっぱなしだ。
『リヤカーとサーカス』の次作品だが、シアターXのIDTFで公演した「ディズマーダンス」(不愉快なダンス)の構成が参考になるのではないかと思いつく。
あの時、カンボジアのポルポトのよる知識人虐殺、中近東からのボート難民、天皇、オスプレイ墜落などを素材としたダンス作品を創ったのではなかったか。
森洋子さんに、ダンボールで、墜落したオスプレイを作ってもらった満足したようなところがあった。終演後、舞監らがさっさと墜落したオスプレイを片付けてしまったのには、かなりムッとした記憶があるのだが、さっさと片付けないことには、次の作品が
できないからかもしれないが、こちらに一言あっても良かったのでないかと思った次第。
*
で、次回作は、南京大虐殺、原爆投下と被曝者(2024年ノーベル平和賞・被団協)、
原発事故、能登地震、パレスチナの大虐殺などを、さまざまな人の記憶の襞のなかから蘇らせる。つまり、それぞれの経験者のトラウマを描く。君にとってトラウマとはなにか。イスラエルによるパレスチナの子ども虐殺の写真を日々目にしながら何もしないで今日という時間を生きているが、20年後、なぜ、あの時何もしなかったかという悔悟から、その映像が夜な夜な浮かび上がり、それから逃げるために、闇バイト事件を起こす若者の意識の揺れを描けないか。
この、人の記憶を作り出すことで、とんでもない事件の記憶の継承を考える。それは、いささか蛇道(邪道)かもしれないが人々の記憶に留めてもらうためには、有効な手段といえるのではないか。
10月24日(木)雨&曇 ひびきみか嬢、資料館に (32日目)
赤城駅着8時51分という電車でやってくる。元気なものである。多分、還暦だ。ということで、8時過ぎに赤城駅まで出迎えに出る。
今は、朝食をすませ、散らかっている机の上を整理し、洗濯機を回す。
11時頃、シアターXで、よく舞台美術を行っている江連あかりさんが、ひびきみかさんに声をかけられて、資料館に。
森君が、ゼロックスのコピー機とわがオンボロパソコンを繋げてくれた。なにしろ、わがパソコンは古いので、すぐにはコピー機とつながらないのでありました。
ひびき、江連両嬢のために、玉子入り暖かうどんを作る。
3時すぎに、二人は引き上げていきましたとさ。
10月23日(水) 一時雨 サーカス学校
学校に顔をだし、稽古を見る。茨城県鉾田市の赤羽さんに、祖父のコートを送る。宮沢賢治の朗読をするときに、ぜひ、着てもらいたいとおもってのこと。僕のところにあっても、いつかは虫食いになって破棄することになるだろうから。
岡田陽一さんの助言をいただき、どんな形であれ、サーカス目録を作るべしと自己し叱咤して、少しばかり目録作りを行う。
『サーカスとリヤカー』収録予定の短編「少年のブランコ」再校。「団長のサーカス」に取り掛かる。あと「少女と黒アゲハ蝶」が残っている。そのあと、「サーカスとリヤカー」の手を入れるぞ。この「サーカスとリヤカー」再校のとき、『やし酒飲み』がどんな影響を及ぼすか、だ。
10月22日(火) サーカス村滞在 (31日目つまり一ヶ月だ)
なんとなく後2年半、つまり30ヶ月のうちに、サーカスの物語を書く、資料を整理する、車を運転するなどを終えようと思って、日数を数え始めている。一番は、車の運転を止めること、運転免許書の返納を考えてのことだ。葉山と群馬のサーカス村の往復がかなりきつくなってきたというか、無理をしないために車通いはやめたほうがいいと思い始めているからだ。
今日も、6時間近くかかってしまった。環八通過に時間がかかるのが原因だが、これは解消する見込みはないし、まあ、たまたま空いていることがあっても5時間を切れるかなというぐらいだろう。不思議なことに、ここ数年は車を運転していても眠くなることはない。ともかく、どこかで区切りをつけるべきで、何も2年半先に止めると言わずに、今日明日にでもやめていいのだが。
*
『やし酒飲み』を分析するのではないが、なんとかこの神話のような物語を活用できないかと読み返している。
今は、「不帰の天の町」への旅というところを読んでいる。
この町には、いままで見たこともないような、人間に対しては極めて残忍な敵意をむきだしにする、あきれ果てた人非人という設定なのだが、
「この未知の生物たちは、何かにつけて、人間の逆張りを行くのだった。たとえば、木に登る時には、まずハシゴに登っておいて(サーカス芸のハシゴ乗りか? 西田注)、そのあとから、ハシゴを木に持たせかけたし、また、町の近くに平地があるのに、家はすべて、傾斜の急な丘陵の中腹たてたし、 、、、」
という風に書かれているが、この文章で、サーカス好きのカフカがハシゴ乗りについて書いていることを思い出す人は多いのではないか。いま、その文章を正確には思い出せないが、カフカもハシゴ乗りが、ハシゴを登るのではなく、ハシゴの上から降りてくるようなイメージを抱いていたような気がするのだが。ただし、この『やし酒飲み』は、文学ではない。文学ではなく神話というべきなのだろう。
で、僕としては、たとえばハシゴ乗りをいかに認識すべきなのだが。竹馬でもいいが。いまのところ『サーカスとリヤカー』に、ハシゴ乗りのことは書いていない。ハシゴ乗りの短編を書く必要があるかも。書ければ素晴らしいと思うが。いや、書かなくてはならないよな、ただし今のところ、作品のへそが見当たらない。
10月21日(月)晴 サーカス村移動日 (30日目)
サーカス村入りの予定だったが、ある人のために書いた推薦状を入れた郵便物がまだ郵送されていないとのことで、今日届くか確認が必要なので、今はその連絡待ち。もしも今日届かないとなると、新たに書いて捺印して、明日本人に届けないと、締め切りに間に合わなくなる。
で、今日は『サーカスとリヤカー』に収録予定の短編の校正をしようと思いつつ、まだ手をつけていない。
今はぼんやりと『サーカスとリヤカー』に次に書こうと思っている作品仮題『サーカスがやってくる』の概要というかイメージをぼんやりと考えている。
つまり、どこかの国のサーカスがやってくるという噂が、<僕>の住む、すっかり寂れた街に流れてくる。噂は次々と届くのだが、いつまでたってもサーカスはやってこないという物語だ。その噂というのは、そのサーカス団がこれまで公演してきた街はどんなところであったというもの。例えば米軍基地の沖縄のようなところ、原発事故のあった福島のようなところ、そして自身災害のあった能登半島のようなところ。時代は昭和天皇の時代、平成天皇の時代、そして令和天皇の時代、あるいは明治時代、大正時代、江戸時代などなど、様々な時代、状況、事故や事件などの抽象的に描き、そこでサーカスがどのような目にあってきたかが、この寂れている街に噂として流れてくる。そこに住む俺たちは噂に翻弄されつつも、なんとか生きているというもの。そんなものが書けるのだろうかと思いつつ、エイモス・チュツオーラ著『やし酒飲み』を下敷きに書こうと思ってるのだが。99%、無理かもなと思いつつ。いや、この思いつきで5%の可能性が出てきたと思うことにする。
出だしはこうだ。「サーカスがやってくるらしいぜ」という噂を流しているのは、隣町のカラオケバーなぎさに入浸りのツトムだ。本人に問いただすと、彼が入浸りのカラオケスナックでこれまであったことのない、この店に現れる客としてはまず見かけることのないスーツ姿の二人ずれの男がスナックのママのなぎささんに、半年ほど先になると思うけど、A市からB市に移動する時ここを通過するので、2、3日だけどこの街で公演することになると思うよと自信ありげに話をして、ママを招待したいと抜かしたということであった。
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