2024-11-5(作業日誌526)
2024年 11月5日(火)曇夕方から小雨 サーカス学校へ (45日目)
午前中、サーカス学校に。練習を見るというよりは、『サーカスとリヤカー』直しに集中。関口さんが自宅で育てた大根を持ってきてくれた。折角なので、葉っぱを切り落とさずにいただき、一本は資料館で食べ、3本を自宅へ持ち帰ることにする。また、資料館の横でしいたけ栽培している金子篤くんから、乾燥刻みしいたけを購入。生椎茸をおまけに持ってきてくれる。
先日、亡くなったここ、資料館の地主である星野憲三さんについて少しばかり思い出話をする。
*
昨年の10月7、8日は、ハマスがイスラエルの軍事施設、行われているイベントを攻撃した日だ。それからイスラエルが、報復を理由に、現在につながるジェノサイドを続けている。そこにハマスに参加している人がいれば、周囲に市民がいようが、女性がいようが子供がいようが、中途なく爆撃し攻撃するというイスラエルのまさしく非人道的な殺戮行為に対して、パレスチナの人々を救えとさまざまな活動が行われてきているが、僕も昨年暮に“ガザに劇場を”という、とてもできない夢物語を口にして、今年の6月にはなんと“ガザ・劇場・穿つ”という、ダンサー、パントマイミスト、紙芝居屋、サーカスパフォーマーの協力を得て、作品を作ってしまった。この創作活動と“ガザに劇場を”という夢計画がどう結びつくかはわからないし、事実、公演以降、ガザ劇場作りのプロジェクトはなんら進んでいない。僕の妄想的思考のなかでだけ、ぐずぐずとくすぶっているだけだ。だが、消えてなくなったわけではないし、ガザの劇場が“黒い劇場”とすれば、なんらかのかたちで、イスラエルとパレスチナの、この戦争、一方的なジェノサイドが集結した時には、テルアビフにもうひとつの劇場、“白い劇場”をつくり、この黒と白の劇場が連帯して活動できるようなことを思い描いている。正直、まったくの妄想、夢物語である。この夢物語を、まさしく夢物語としてどのように描くかが考えなければならないことではないかと、さらに妄想を深めている。
11月4(月) 晴 振替休日 サーカス村入り (44日目)
9時前に家を出て、サーカス村に。着いたのは3時前。環八は工事と事故渋滞。関越では、坂出あたりで渋滞5キロ。まだ、観光客の車が多いようだ。
セキチューでLEDランプや洗濯洗剤、電池、糊などを購入してからフジマートで食材を購入する。
今は7時。到着してから昼寝をしていないので、資料整理する力なく、新聞の切り抜きを読む。早々と布団に潜り込むことにしよう。なにしろここ資料館は北斜面に建っているので寒いのだ。今は電気ストーブをつけている。明日は石油ストーブの準備をしよう。今週後半はだいぶ寒くなる予報なので、電気ストーブでは十分な暖は取れないだろうから。
ふと考えるのだが、もう日常的なことはこうして日記に書かなくてもいいのではないか。では何を書くべきか。
11月3日(日) 珍しく一日快晴 (43日目)
全国大学駅伝を見てしまった。野球のWBCにしてもそうだし、凡ゆるスポーツはある意味“パンとサーカス”のサーカスである。そしてそれらはみな資本者階級が大衆を欺く、盲目化する道具であるのは自明の理と言えるだろう。そこに迷うことなくはまっている愚か者の一人が他ならない己である自覚がないわけではないのだが、といって、資本者階級に一撃を加えるべき言葉を生み出すことのできないのがなんとも情けないのだが、さて、いかにすべきか。イスラエルの、パレスチナの人々を皆殺しにする植民地主義者という、最悪の資本主義者の、それもまた知性というなら、その悪魔の知性に、彼ら自身が疑問を持ち、それこそ悔い改める言葉を考え出さなければならないないのだが。植民地主義者が己の行動を自ら戒め、考えを改めたという歴史はあるのだろうか。
植民地化されたところの民族が立ち上がり、植民地主義者との武力ではない戦い方で、植民地主義者を追い出した歴史はあるのだろうか。
イスラエルの国民が、自国の、現にパレスチナの人々を“動物人間”などと侮蔑し虐殺することに異常な執念を燃やしている人々を改悛させることがあるのだろうか。もしもあるとすれば、それはいかなる論理なのか。論理ではなく、人として、他の人、人々、民族がそれぞれに存在し生きていることを当たり前のこととして認識できるかというだけのことなのか。それができないのは、人類そのものの欠陥なのだろうか。
11月2日(土) 雨 (42日目)
終日雨だった。女房殿が岩手、八幡平の友人宅から帰宅。
『サーカスとリヤカー』少し進む。ぼちぼち、進行。まあ、この何日かはできなかったので、よしとするか。
11月1日(金) 曇 草むしり (41日目)
久しぶりに頑張って2時間ほど草むしりに集中。午前中であればほぼ蚊がお出ましにならなくなった。夕方は相変わらずだが。
会報を投函。記念切手の20円を5枚に、普通の10円切手を使う。20円切手5枚だと、長3封筒の縦ほぼいっぱいに貼ることになる。なかなか見ごたえがあるというか、受け取った方はどんな印象なのだろうか。そういうことはあまり気にしないものなのだろうか。
『サーカスとリヤカー』の見直し作業進まず。もひとつやる気がおこらないのだ。これはまずいのだが。
午前中、サーカス学校に。練習を見るというよりは、『サーカスとリヤカー』直しに集中。関口さんが自宅で育てた大根を持ってきてくれた。折角なので、葉っぱを切り落とさずにいただき、一本は資料館で食べ、3本を自宅へ持ち帰ることにする。また、資料館の横でしいたけ栽培している金子篤くんから、乾燥刻みしいたけを購入。生椎茸をおまけに持ってきてくれる。
先日、亡くなったここ、資料館の地主である星野憲三さんについて少しばかり思い出話をする。
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昨年の10月7、8日は、ハマスがイスラエルの軍事施設、行われているイベントを攻撃した日だ。それからイスラエルが、報復を理由に、現在につながるジェノサイドを続けている。そこにハマスに参加している人がいれば、周囲に市民がいようが、女性がいようが子供がいようが、中途なく爆撃し攻撃するというイスラエルのまさしく非人道的な殺戮行為に対して、パレスチナの人々を救えとさまざまな活動が行われてきているが、僕も昨年暮に“ガザに劇場を”という、とてもできない夢物語を口にして、今年の6月にはなんと“ガザ・劇場・穿つ”という、ダンサー、パントマイミスト、紙芝居屋、サーカスパフォーマーの協力を得て、作品を作ってしまった。この創作活動と“ガザに劇場を”という夢計画がどう結びつくかはわからないし、事実、公演以降、ガザ劇場作りのプロジェクトはなんら進んでいない。僕の妄想的思考のなかでだけ、ぐずぐずとくすぶっているだけだ。だが、消えてなくなったわけではないし、ガザの劇場が“黒い劇場”とすれば、なんらかのかたちで、イスラエルとパレスチナの、この戦争、一方的なジェノサイドが集結した時には、テルアビフにもうひとつの劇場、“白い劇場”をつくり、この黒と白の劇場が連帯して活動できるようなことを思い描いている。正直、まったくの妄想、夢物語である。この夢物語を、まさしく夢物語としてどのように描くかが考えなければならないことではないかと、さらに妄想を深めている。
11月4(月) 晴 振替休日 サーカス村入り (44日目)
9時前に家を出て、サーカス村に。着いたのは3時前。環八は工事と事故渋滞。関越では、坂出あたりで渋滞5キロ。まだ、観光客の車が多いようだ。
セキチューでLEDランプや洗濯洗剤、電池、糊などを購入してからフジマートで食材を購入する。
今は7時。到着してから昼寝をしていないので、資料整理する力なく、新聞の切り抜きを読む。早々と布団に潜り込むことにしよう。なにしろここ資料館は北斜面に建っているので寒いのだ。今は電気ストーブをつけている。明日は石油ストーブの準備をしよう。今週後半はだいぶ寒くなる予報なので、電気ストーブでは十分な暖は取れないだろうから。
ふと考えるのだが、もう日常的なことはこうして日記に書かなくてもいいのではないか。では何を書くべきか。
11月3日(日) 珍しく一日快晴 (43日目)
全国大学駅伝を見てしまった。野球のWBCにしてもそうだし、凡ゆるスポーツはある意味“パンとサーカス”のサーカスである。そしてそれらはみな資本者階級が大衆を欺く、盲目化する道具であるのは自明の理と言えるだろう。そこに迷うことなくはまっている愚か者の一人が他ならない己である自覚がないわけではないのだが、といって、資本者階級に一撃を加えるべき言葉を生み出すことのできないのがなんとも情けないのだが、さて、いかにすべきか。イスラエルの、パレスチナの人々を皆殺しにする植民地主義者という、最悪の資本主義者の、それもまた知性というなら、その悪魔の知性に、彼ら自身が疑問を持ち、それこそ悔い改める言葉を考え出さなければならないないのだが。植民地主義者が己の行動を自ら戒め、考えを改めたという歴史はあるのだろうか。
植民地化されたところの民族が立ち上がり、植民地主義者との武力ではない戦い方で、植民地主義者を追い出した歴史はあるのだろうか。
イスラエルの国民が、自国の、現にパレスチナの人々を“動物人間”などと侮蔑し虐殺することに異常な執念を燃やしている人々を改悛させることがあるのだろうか。もしもあるとすれば、それはいかなる論理なのか。論理ではなく、人として、他の人、人々、民族がそれぞれに存在し生きていることを当たり前のこととして認識できるかというだけのことなのか。それができないのは、人類そのものの欠陥なのだろうか。
11月2日(土) 雨 (42日目)
終日雨だった。女房殿が岩手、八幡平の友人宅から帰宅。
『サーカスとリヤカー』少し進む。ぼちぼち、進行。まあ、この何日かはできなかったので、よしとするか。
11月1日(金) 曇 草むしり (41日目)
久しぶりに頑張って2時間ほど草むしりに集中。午前中であればほぼ蚊がお出ましにならなくなった。夕方は相変わらずだが。
会報を投函。記念切手の20円を5枚に、普通の10円切手を使う。20円切手5枚だと、長3封筒の縦ほぼいっぱいに貼ることになる。なかなか見ごたえがあるというか、受け取った方はどんな印象なのだろうか。そういうことはあまり気にしないものなのだろうか。
『サーカスとリヤカー』の見直し作業進まず。もひとつやる気がおこらないのだ。これはまずいのだが。
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