2024-11-20(作業日誌530)
2024年 11月20日(水) 曇 (61日目)
風邪は抜けないまま。病院の行けと言われたが、まあ、大丈夫だろうと意地を張って自宅療養を続ける。それにしても長がびいている。風邪ではこれまでで最長ではないか。
つまらん記録だ。くそったれ!
11月19日(火) 晴 冬日 (60日目)
この冬一番の寒い日かな。北風が冷たい。風邪は相変わらず抜けない。マイクロプラズマ肺炎がはやっているよと娘に警告。SNSでこの肺炎の症状をチェックすると、もごとに自分の症状と同じ。やはり、このままズルズルと治るのを待つより病院へ行くべきか。抗生物質で一発快癒らしいので。といっても、今日は女房も出かけているので、動きが取れない。明日、行くことにしよう。とにかく、直さないと、金曜日に、スェーデンのサーカス“シルクール”を見に行けない。
今はマイクロプラズマ肺炎と猛烈に格闘中の我が肉体。頑張れ! 精神も応援しとるぞ!
11月18日(月) 晴れ 風邪 (59日目)
風邪が抜けるのを期待して、一日、布団に潜ってひたすら寝ていたが、風邪は抜けない。時たまでる強い咳、鼻水。丸一日、損をしたような気分。やはり、娘が進めるように病院へ行くべきか。
11月17日(日)晴 総会 (58日目)
東中野のノガラのスタジオに。14時からサーカス村の総会。15時迄。特に変わったことなし。
風邪は治らず。なんともすっきりしない。
11月16日(土) 曇 風邪長びいてる (57日目)
なかなか風邪が抜けない。一週間分の新聞整理。
1996年の『美術手帖』のサーカス特集を読む。フランスの現代サーカスの盛況ぶりというか、発展ぶり、シルク・ドゥ・ソレイユの活躍。筆者は、森田裕子と石井達朗。
今読んでもというか、現代サーカスについて書いてもこれ以上のことは書けないかもしれない。というか、1996年からすでに30年近く経つが、そこから何が新しくなっているのか、いや、この頃のフランスの若者が切り開いた新しいサーカスの地平は、その後、新たには切り開かれてはいないのではないか。そんな気がする。
僕自身も、全く、新しい地平を切り開いていない。活動としては、「サーカスはリヤカーに乗って」という、この時代のサーカスの旅とはいかに可能かを考える“旅”を試みたが、時代に突き刺さることもできなかったし、何かこれといったものも発見できなかったというか、時代の状況の泡のような活動にしかならなかったような気がする。
といって、どこかで、新しい文化活動的な活動があったかといえば、静岡大道芸フェスや名古屋・大須の祭り、野毛大道芸など、商業的な祭り的なものが目立ち、現代も継続しているが、時代を切り開くコンセプトを持った、個人的、あるいはグループによるサーカス的な活動、新たな文化活動は生まれてきていないような気がする。
多分、僕自身、どこかで命がけ、そうした活動に邁進しなければ自分は存在しなといった思いつめた活動を人、パフォーマー、アーティストを見つけ出そうとしてこなかったし、ぼく自身も安直な、時代に流される日々を、それこそ30年以上も過ごししまったのだろう。
今、資料を整理しているが、この模索は、それら資料の中ではなく、その向こうに見落としているもの、これからひょっとして噴き出してくるかもしれない何かを想像することができるかもしれないという、ぼく自身の最後のあがきかもしれない。
風邪は抜けないまま。病院の行けと言われたが、まあ、大丈夫だろうと意地を張って自宅療養を続ける。それにしても長がびいている。風邪ではこれまでで最長ではないか。
つまらん記録だ。くそったれ!
11月19日(火) 晴 冬日 (60日目)
この冬一番の寒い日かな。北風が冷たい。風邪は相変わらず抜けない。マイクロプラズマ肺炎がはやっているよと娘に警告。SNSでこの肺炎の症状をチェックすると、もごとに自分の症状と同じ。やはり、このままズルズルと治るのを待つより病院へ行くべきか。抗生物質で一発快癒らしいので。といっても、今日は女房も出かけているので、動きが取れない。明日、行くことにしよう。とにかく、直さないと、金曜日に、スェーデンのサーカス“シルクール”を見に行けない。
今はマイクロプラズマ肺炎と猛烈に格闘中の我が肉体。頑張れ! 精神も応援しとるぞ!
11月18日(月) 晴れ 風邪 (59日目)
風邪が抜けるのを期待して、一日、布団に潜ってひたすら寝ていたが、風邪は抜けない。時たまでる強い咳、鼻水。丸一日、損をしたような気分。やはり、娘が進めるように病院へ行くべきか。
11月17日(日)晴 総会 (58日目)
東中野のノガラのスタジオに。14時からサーカス村の総会。15時迄。特に変わったことなし。
風邪は治らず。なんともすっきりしない。
11月16日(土) 曇 風邪長びいてる (57日目)
なかなか風邪が抜けない。一週間分の新聞整理。
1996年の『美術手帖』のサーカス特集を読む。フランスの現代サーカスの盛況ぶりというか、発展ぶり、シルク・ドゥ・ソレイユの活躍。筆者は、森田裕子と石井達朗。
今読んでもというか、現代サーカスについて書いてもこれ以上のことは書けないかもしれない。というか、1996年からすでに30年近く経つが、そこから何が新しくなっているのか、いや、この頃のフランスの若者が切り開いた新しいサーカスの地平は、その後、新たには切り開かれてはいないのではないか。そんな気がする。
僕自身も、全く、新しい地平を切り開いていない。活動としては、「サーカスはリヤカーに乗って」という、この時代のサーカスの旅とはいかに可能かを考える“旅”を試みたが、時代に突き刺さることもできなかったし、何かこれといったものも発見できなかったというか、時代の状況の泡のような活動にしかならなかったような気がする。
といって、どこかで、新しい文化活動的な活動があったかといえば、静岡大道芸フェスや名古屋・大須の祭り、野毛大道芸など、商業的な祭り的なものが目立ち、現代も継続しているが、時代を切り開くコンセプトを持った、個人的、あるいはグループによるサーカス的な活動、新たな文化活動は生まれてきていないような気がする。
多分、僕自身、どこかで命がけ、そうした活動に邁進しなければ自分は存在しなといった思いつめた活動を人、パフォーマー、アーティストを見つけ出そうとしてこなかったし、ぼく自身も安直な、時代に流される日々を、それこそ30年以上も過ごししまったのだろう。
今、資料を整理しているが、この模索は、それら資料の中ではなく、その向こうに見落としているもの、これからひょっとして噴き出してくるかもしれない何かを想像することができるかもしれないという、ぼく自身の最後のあがきかもしれない。
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