2025-3-10(作業日誌551)

2025年 3月10日(月) 晴 自宅
『ウイグル人になにが起きているか』(民族迫害の起源と現在)福島香織著PHP新書2019/6/28 第一版
 中国によるウイグル人への弾圧は、弾圧のレベルではなくジェノサイドのレベルであることを告発している。新疆ウイグル雑技団を数回にわたって招聘した身としては、彼らが現在どうなっているか。果たして生きているのか、ウルムチで生活できているのか気になって仕方がないのだが、この本を読むと生きているのかそれともどこかで殺されているのかと考えてしまう。多分、彼らの所属していた新疆ウイグル自治区雑技団は潰されているのではないかと思われるし、、、。

 3月9日(日) 晴 橋本君に会う
 12時に品川駅で、久しぶりに橋本君に会う。前回はいつあったか。ひょっとすると1年以上会っていないかもしれない。色々と話す。で、彼が別段親しくもない地元のあっちゃんとたまたま席を同じくしたら、そのおっちゃんが最近の若者はまとまっていておもしろくないと橋本君に話したそうだ。まさしく、そのとおりで、現在の社会の仕組みの中で生きることを考えていて、社会に反旗を翻して、なんとか生き抜いてやろうといった反骨精神を持っている若者、いや若者だけでなく大人もいなくなっているのではないか、と。全く同感だ。大道芸がおもしろくなくなっているのも、大道芸フェスの枠の中で認められる、勝ち抜くための技を見せられてしまうからではないだろうか。確かに大道芸というのは、一般的な収入を得る道、仕事とは違う形で収入を得ているという意味では、新しい職業といえるかもしれないが、いつの間にかそうした収入を得る手段が社会的に認知されてしまったかようで、大道芸を行う人々もそれを当然のように受け入れてしまっている。声だかに投げ銭を求める姿は、スーパーの呼び込みと変わらないが、本人たちもそれでいいと思っているのだろう。僕はその場を立ち去るのみだ。
 体制に組み込まれずにいかに生き抜くかなどと言っても、今の若い人にはなにを言っているかわからないだろうが、寄り道をして脇道に逸れていたい。
 彼の農業会社の地涌舎も、農業ができる若者は育っているが、会社経営ができそうな若者は育っていないという。そちらに関心を持つ若者がいないということらしい。

 3月8日(土) 曇りのち雨か雪の予報
 自宅。京都の橋本昭君から上京の連絡あり。会えるかな。
『カラのリュックサックを背負って』懸命にチャレンジしているが、さて、どうなるか。
文章が生まれてくるのを待ちながら、一行一行書いている。しかも、どう書いていいのかわからないテーマを抱えている。

 3月7日(金) 晴 自宅
 朝7時半に女房殿を逗子駅に送る。今日は久しぶりの晴天だが、風が冷たいぞお!

 3月6日(木) 曇 自宅 c
 『カラのリュックサックを背負って』 なんとなく文体が見えてきたが、書こうとするテーマがあやふやで、なかなか先に進めない。

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