2025-3-31(作業日誌556)

2025年 3月31日(月) 雲り 自宅
 今、『知られざる祈り 龍語句の民族問題』加々美光行著・新評社1992/3/31
を再読し始めている。中国が統一されるまでの、国内の権力闘争とソ連の指導というか、方針について書かれているところなど、十分、理解できない。
 チベット、モンゴルを中国がどのように支配していくか。そしてウイグルを。その辺りのことを理解したいというか、この本が書かれたより以降の、文化的・伝統的ジェノサイドといわれる、ウイグル族への中国のやり方を少しでも理解したいのだが。

 3月30日(日) 曇り 外出
 久しぶりに藤沢にでて、ジュンク堂に。3冊ほど本を買う。
 買いたいというか読みたい本はあれこれあるが、買い込んでも読まなければ後悔するだけだ。
 寒い中少しだけ草むしり。サーカス村へ行くまでにここまでは綺麗にしておきたいというところまでむしる。といっても大したスペースではないのだが。たかが草むしりされど草むしりというわけでもないが、あーでもないこうでもないと考えて、どんどんできないというか、1日にむしるスペースは広くない。

 3月29日(土) 雨 自宅
『再教育収容所地獄の2年間 ウイグル大虐殺からの生還』(グルバハール・ハイティワン/ロゼン・モルガ著 河出書房新社/2021/10/30初版発行/2,550円税別)
 再読する。ウイグル族に対する、この文化・伝統的ジェノサイドのための具体的な具体的な施設を最確認するため、さらには自分が書こうとする物語の中のどのように取りこめるかを考えながら読む。この非人間的な施設を寓話化するのは不可能のような気もするが、なんとかできないか。

 3月28日(金)朝雨。9時すぎに止む
 ブレヒトに、「第三帝国の不安」という詩がある。その第六節は次のようなもの。
  6
だが、かれらの第三帝国が思い起こさせるのは
 アッシリア・タールの建造物、あの巨大な要塞だ
伝説によると、どんな軍勢も陥落できなかったというその要塞が
その内側で公然と語られた、たった一言で
灰塵に帰したという。

 で、注に、アッシリア・タールの伝説は、ブレヒトの創作である。と書かれている。
この、“たった一言で、灰塵に帰したという。”一節がずーと気になっていて、山田重郎著『アッシリア 人類最古の帝国』(ちくま新書2024/6/10第一冊)を読んだのだが、“アッシリア・タール”というのは、どこにも出てきていないようである。
タールの意味がわからないのだが。
それはそれとして、「その内側で公然と語られた、たった一言で」の、この一言はいかなる言葉なのか、一言なのかがずっと気になっている。
ウイグル族を、その文化を含めて人々を抹殺している帝国を灰塵に帰せしめる、たった一言はないものだろうかと考えている。

 3月27日(木) 晴 自宅
 午前中、雑草取り2時間。今日は太陽に負けなかったようで、昼寝なし。校正を進める。『リヤカー〜』
 きらりの矢野さんに、サーカスバザールのメインホールのタイトル、出演者名簿を送る。タイトルは“Life’s a circus”―人生はサーカスのようだ=に。
熊倉潤著『新疆ウイグル自治区』(中国共産党支配の70年)中公新書20226/25発行を読み終える。多分、出版された年に購入して読んだ気がするが、なにも覚えていない。
今回読み直して、ウイグルの人々は、1949年に中国共産党の指導に服するまで、東トルキスタン共和国などとして独立を目指して、さまざまな運動が行われていたこと。そして中国に帰属した後も、独自の民族としての文化、生活を維持しようとしていたが、そうした願い、運動は生かされず、習近平時代になって、「中華民族共同体意識」を持つことをより一層強化されて、ウイグル民族の文化は、さまざまな漢民族同化政策で圧殺され、今日に至っていることを学んだ気がするが。

3月26日(水) 晴れ 自宅
 自宅の雑草取り。それほど太陽に照らされてはいないはずだが、なんとなく身体がだるくなって、昼寝する。2時間ほども寝てしまったか。やはり太陽に負けたか。
『リヤカーとサーカス』の校正を少し行う。やり始めると、これでいいのかと悩んでなかなか進めないのだが、とにかくやりぬかなければ。

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