2025-6-30(作業日誌573)
2025-6-30(作業日誌 573)
2025年 6月30日(月) 晴れ 自宅
今日も一日、ダンス台本のとっかかりをイメージできずに悶々と過ごす。
『からの〜』は少し手直ししながら書いてみる。が、廃園遊園地のところでストップしてしまう。
6月29日(日) 晴れ 自宅
来年のIDTFに、だれかダンサーと組んで作品を発表できないかと考えているが、踊ってもらうための台本というか、作品が書けないでいる。もう一ヶ月ぐらい悩んでいるのだが。さて、どうしたものか。
『物語ることの反撃』の作品のなかからどれかを選んで、それを下敷きにダンス台本を書きたいという思いはあるが、どの作品も重くてどのように咀嚼すればいいか、見当がつかない。あるいは、『ガザ・劇場。穿つ』の続編でもいいのだが。
6月28日(土) 晴れ 長らくなっていない知人に会う
12時に逗子・葉山近くのドトールで、もう何十年もあっていない片岡勝氏に会う。彼は東南アジアを飛び回って活動しているようだ。
昨年4月に東京・三田フレンズのリクエーションホールというところで公演した“クメール舞踏ドラマ・Peace Without Guns”という作品をバージョンアップしたものを再演したいということで、カンボジアのサーカス学校があるPPSとも連携してその作品をつくるので、当方のサーカス学校も協力してもらえないかという話しだ。で、PPSにこいという話しを以前もらっていたが、なにしろ現状の僕はパスポートが切れているし、飛行機に乗るというのも遠慮しているので、その話しは辞退したのだが、7年ぶりに日本に帰るので、会いたいということであった。なんとも奇縁なことで、以前、彼とどんなつながりであったかさえ、思い出さない。会って話しをしてもやはりどこであっていたか思い出すことはできなかった。
これから作ろうというものは、なんでも影絵を使ったものしたいということで、ただ、その中にサーカスアクトも入れてお客により興味を持ってもらいたいと考えているとのこと。協力できることは協力したいので、作品作りの構成が固まったら、次のステップへということで、今回の話しあいを終える。どうなるか、まだ、具体的なところまでは見えていないが、あるいは、これからの自分の活動のステップになるかもしれないとも思えた。
*
2013年にリフアト・アルアライールの編集によって英語で出版された短編小説の全訳である『物語ることの反撃』をとりあえず読了したが、なんとも気が重くなってくるというか、これを読んで自分なりにどうように咀嚼すればいいのか、目鼻が立たない。
2008年12月から翌年1月まで、パレスチナ側に1400人以上の死者を出したイスラエル軍の侵攻「キャストレッド作戦」によって親族、知り合いなどを殺害され、家屋、畑などを破壊された、当時、英文学を学んでいた若者達が物語として描き出したものだが、当然、現在のイスラエルのジェノサイドの世界とオーバーラップしてくるし、現在はこの時の「キャストレッド作戦」以上の徹底した破壊活動が行われていることを思うと、どのような言葉を生みだし活動をすればいいのかが、わからなくなってしまい、ただ気が滅入ってくるのだ。どうすればいい?
6月27日(金) 晴れ 自宅
『物語ることの反撃』(パレスチナ・ガザ作品集)(リフアト・アルアライール編 2024/11/30初版 2720円税別)を読み始めるが、気が重くなる。
『リヤカーとサーカス』をとりあえず校了にした後、次回作『カラのリュックサックを背負って』を書き始めているが、これが遅々として進まない。無理して書くこともないのかと思ったりもするが、時間をかけてでも書きあげなくてはならないにちがいない。
サーカスの世界から足を洗うつもりはないが、いくらか距離を置いてサーカスの世界を見直してみたい気持ちもある。多分、現在のサーカス、大道芸の流行りが大衆路線というか大衆受けするものになってしまっていることに違和感を感じているからだろう。確かに滅びゆく日本のサーカスをなんとかしたという気持ちで、サーカスの世界に関わってきたことを考えれば、現在の流行りはむしろ喜ぶべきことかも知れないのだが、そうではなく違和感を覚えるのは、やがてまた潮が引くように人気が低迷していく気がしているからかもしれない。それほど流行らずしかもそれでもサーカスをやりたい人、サーカス好きがそれなりにいることが、サーカスの世界そのものを深めていくのではないかと思っているからかもしれない。
少しばかり現代のサーカスの世界から距離をとって見ていたいというのはそういうことかもしれない。
6月26日(木) 晴れ 自宅
頭木弘樹著『カフカ俳句』をぺらぺら読む。種田山頭火や尾崎放哉、さらには寺山修司などとの比較というか共通性を指摘している。
まっすぐな道でさみしい 山頭火
咳をしても一人 尾崎放哉
などを引いている最初の文章では、カフカの
鳥籠が鳥を探しにいった という言葉を取りあげている。そこに関連性を見出そうとしているのではないが。
もう何年も仕事から遠ざかっていて、ほぼ浪人状態というか無職渡世の生き方をしているけれども、仕事をしていないからというのではなく自分はどのように残りの人生というか日々を過ごせばいいのかこれといった考えが浮かばず、それこそ無為に日々を過ごしてすでに何年も経つのだが、ここに来て、うっすらとこの自由な日々、時間を改めて何かをするのではなく、その自由な時間の流れるままに、文章を書く、物語を創作していくことに勤しむ、そんな気持ちが少しばかり浮かんで来ているような気がするのだが、さて、どんな言葉が生まれるか、描くことができるのか。少なくとも『カフカ俳句』のような暗さというものはあまり感じられない。といって、ノーテンキなわけでもないが。
「アナーキーに踊りまくれ!」というのが、ここ1、2年のわがキャッチフレーズなのだが、実際どのような動きをすればいいのかは皆目見当がついていない。
2025年 6月30日(月) 晴れ 自宅
今日も一日、ダンス台本のとっかかりをイメージできずに悶々と過ごす。
『からの〜』は少し手直ししながら書いてみる。が、廃園遊園地のところでストップしてしまう。
6月29日(日) 晴れ 自宅
来年のIDTFに、だれかダンサーと組んで作品を発表できないかと考えているが、踊ってもらうための台本というか、作品が書けないでいる。もう一ヶ月ぐらい悩んでいるのだが。さて、どうしたものか。
『物語ることの反撃』の作品のなかからどれかを選んで、それを下敷きにダンス台本を書きたいという思いはあるが、どの作品も重くてどのように咀嚼すればいいか、見当がつかない。あるいは、『ガザ・劇場。穿つ』の続編でもいいのだが。
6月28日(土) 晴れ 長らくなっていない知人に会う
12時に逗子・葉山近くのドトールで、もう何十年もあっていない片岡勝氏に会う。彼は東南アジアを飛び回って活動しているようだ。
昨年4月に東京・三田フレンズのリクエーションホールというところで公演した“クメール舞踏ドラマ・Peace Without Guns”という作品をバージョンアップしたものを再演したいということで、カンボジアのサーカス学校があるPPSとも連携してその作品をつくるので、当方のサーカス学校も協力してもらえないかという話しだ。で、PPSにこいという話しを以前もらっていたが、なにしろ現状の僕はパスポートが切れているし、飛行機に乗るというのも遠慮しているので、その話しは辞退したのだが、7年ぶりに日本に帰るので、会いたいということであった。なんとも奇縁なことで、以前、彼とどんなつながりであったかさえ、思い出さない。会って話しをしてもやはりどこであっていたか思い出すことはできなかった。
これから作ろうというものは、なんでも影絵を使ったものしたいということで、ただ、その中にサーカスアクトも入れてお客により興味を持ってもらいたいと考えているとのこと。協力できることは協力したいので、作品作りの構成が固まったら、次のステップへということで、今回の話しあいを終える。どうなるか、まだ、具体的なところまでは見えていないが、あるいは、これからの自分の活動のステップになるかもしれないとも思えた。
*
2013年にリフアト・アルアライールの編集によって英語で出版された短編小説の全訳である『物語ることの反撃』をとりあえず読了したが、なんとも気が重くなってくるというか、これを読んで自分なりにどうように咀嚼すればいいのか、目鼻が立たない。
2008年12月から翌年1月まで、パレスチナ側に1400人以上の死者を出したイスラエル軍の侵攻「キャストレッド作戦」によって親族、知り合いなどを殺害され、家屋、畑などを破壊された、当時、英文学を学んでいた若者達が物語として描き出したものだが、当然、現在のイスラエルのジェノサイドの世界とオーバーラップしてくるし、現在はこの時の「キャストレッド作戦」以上の徹底した破壊活動が行われていることを思うと、どのような言葉を生みだし活動をすればいいのかが、わからなくなってしまい、ただ気が滅入ってくるのだ。どうすればいい?
6月27日(金) 晴れ 自宅
『物語ることの反撃』(パレスチナ・ガザ作品集)(リフアト・アルアライール編 2024/11/30初版 2720円税別)を読み始めるが、気が重くなる。
『リヤカーとサーカス』をとりあえず校了にした後、次回作『カラのリュックサックを背負って』を書き始めているが、これが遅々として進まない。無理して書くこともないのかと思ったりもするが、時間をかけてでも書きあげなくてはならないにちがいない。
サーカスの世界から足を洗うつもりはないが、いくらか距離を置いてサーカスの世界を見直してみたい気持ちもある。多分、現在のサーカス、大道芸の流行りが大衆路線というか大衆受けするものになってしまっていることに違和感を感じているからだろう。確かに滅びゆく日本のサーカスをなんとかしたという気持ちで、サーカスの世界に関わってきたことを考えれば、現在の流行りはむしろ喜ぶべきことかも知れないのだが、そうではなく違和感を覚えるのは、やがてまた潮が引くように人気が低迷していく気がしているからかもしれない。それほど流行らずしかもそれでもサーカスをやりたい人、サーカス好きがそれなりにいることが、サーカスの世界そのものを深めていくのではないかと思っているからかもしれない。
少しばかり現代のサーカスの世界から距離をとって見ていたいというのはそういうことかもしれない。
6月26日(木) 晴れ 自宅
頭木弘樹著『カフカ俳句』をぺらぺら読む。種田山頭火や尾崎放哉、さらには寺山修司などとの比較というか共通性を指摘している。
まっすぐな道でさみしい 山頭火
咳をしても一人 尾崎放哉
などを引いている最初の文章では、カフカの
鳥籠が鳥を探しにいった という言葉を取りあげている。そこに関連性を見出そうとしているのではないが。
もう何年も仕事から遠ざかっていて、ほぼ浪人状態というか無職渡世の生き方をしているけれども、仕事をしていないからというのではなく自分はどのように残りの人生というか日々を過ごせばいいのかこれといった考えが浮かばず、それこそ無為に日々を過ごしてすでに何年も経つのだが、ここに来て、うっすらとこの自由な日々、時間を改めて何かをするのではなく、その自由な時間の流れるままに、文章を書く、物語を創作していくことに勤しむ、そんな気持ちが少しばかり浮かんで来ているような気がするのだが、さて、どんな言葉が生まれるか、描くことができるのか。少なくとも『カフカ俳句』のような暗さというものはあまり感じられない。といって、ノーテンキなわけでもないが。
「アナーキーに踊りまくれ!」というのが、ここ1、2年のわがキャッチフレーズなのだが、実際どのような動きをすればいいのかは皆目見当がついていない。
この記事へのコメント