2025-10-10(作業日誌593)
2025年 10月10日(金)晴れ 今日も逗子駅へ
何やら怪しげなメールに返信してしまい、銀行からお金を盗まれたかもしれないと思い、そのチェックに。昨日、一応、気になるカード会社には連絡をして、そのカードは使用できないようにしてもらい、新たなカードを作ってもらったのだが、それでも不安で銀行へいき、通帳記入してみた。わからない形でお金は抜き取られていなかったが。まあ、なんというか、カード時代、AI時代には完全に置いてきぼりを食らっていますな。
イスラエルとハマスが停戦、人質解放に合意したというニュースが流れているが、これで本当にイスラエルの空爆、地上部隊による攻撃が終わるとは思えない亜。ネタニヤフはなんとでも口実を設けてパレスチナを軍事攻撃するだろうし、これで、イスラエル、ネタニヤフの残虐行為が不問にされることがあってはならない。
10月9日(木) 晴れのち曇り 逗子駅まででる
スランシス・ディヴュイ・デリ&トマ・デリ著『アナーキーのこと』を読み始める。
なんとなく、“サーカス イン ザ アナーキー”なんてタイトルのサーカスショーが作れないかなと思ったりするが、具体的な何も思い浮かばない。この本は、アナーキーにも色々とあることを教えてくれるが、僕が考えているアナーキーは、無秩序、かつデタラメでもって、且つものすごくエネルギッシュな運動というかアクション、パフォーマンスのようなことで、体制、権力、権威に対して異議申し立てをして、それらを破壊するような政治的な活動というものとはあまり結びつかないというか、文化体制への反逆的というか、そこに培われている価値観を壊すような活動という感じで捉えているのだが、さて。
で、逗子のクマザワ書店まで行き、重田園江著『シン・アナキズム』(NHKブックス 2025/7/25 2,200円)を買ってしまった。アナキズムとNHKブックスって、なんか結びつかないのだが。
台風22号の影響で、このあたりの海も荒れているかなと思い、海岸周りのバスに乗ったが、海は凪いでいるというか、砂浜に打ち寄せる波が少しばかり大きいだけで、“荒れた海辺”という感じからは程遠く、ちょっと残念な気分。“荒れている海”を見るのが好きなのだが。つまりそれは無限に変化しているようで、
10月8日(木)曇り 風強し
台風22号の影響で、午前中いっぱいかなり強い風が吹いていた。しかし雨はなし。といっても台風22号が通過した八丈島は相当な被害が出ている。で、その後、23号も同じようなコースを進んでいるので、今週末には再び八丈島あたりは風、雨に襲われそうだ。
中学生の時、東京から福岡に移転し、多分、一月もたたないうちに大きな台風に見舞われて、アパートの部屋のサッシの窓ガラスの隙間から雨が滲み出てきたのを思い出す。その後、移動した一軒家でも台風に見舞われ、雨戸が風にしなったのに驚いたことも思い出す。それでも、なんとなく台風は嫌いじゃないのだが、もちろん、本格的な被害に合えば、そんかのんきなことはいってられないだろうが。
10月7日(火) 曇り
昨日買った明星聖子著『ほんとうのカフカ』を読む。カフカの本が訳本が、訳者の解釈で色々とあって、それが“ほんとう”のカフカの意味していたことかどうかといったことがいわば学術的に検証されているのだが、一読者として、まあ、いいかという気持ちになってしまう。しかも著者によれば、カフカ自身がかなり読者を迷わせるような文章を書いていたらしいので、なおのこと、正解を知ることが難しく、つまり、まあいいかという気分にさせられてしまう。学術的にはそうはいかないのだろうが。
10月6日(月)晴れのち曇 クマザワ書店に
逗子にバスででる。逗子葉山駅ビルにあるクマザワ書店に。明星聖子著『ほんとうのカフカ』(講談社選書メチエ 2024/12/10初版 2,050円税別) スランシス・ディヴュイ・デリ&トマ・デリ著『アナーキーのこと』(作品社 2025/7/25初版 2,700円税別)を買ってしまう。カフカの関連本、アナーキズム関連の本など、目についてしまうと、つい買ってしまう。帰りに鈴屋というスーパーに寄って発泡酒を購入。
早速、『ほんとうのカフカ』を読み始める。どうやら、訳されているカフカの作品は、かなり訳者の解釈で訳されているところが多いようだが、そのことを知っても、例えば『変身』のザムザが「虫」らしきものに変身してしまったことが刷り込まれているので、「虫」じゃないのと言われても、では、なんなの?と思ってしまう。で、多和田葉子は、ドイツ語の日本語読み「ウンゲツィーファー」(生け贄にできないほど汚れた動物あるいは虫)
とそのままで訳しているらしい。「虫」という訳について、様々に言われているので、ドイツ語ままのほうがいいと考えたのだろう。他の言葉を当てれば、カフカ研究者から何をいわれるか、その論争に巻き込まれるのはごめんということではないか。
逗子駅からの帰りのバスは、久しぶりに海岸回りを利用。時々、海を見たくなるのだ。
今日の海はかなり引いていた。凪いでいた。空に浮かぶ雲と青空のコンビネーションもなかなか風情があるというか、悪くない。やはり多少時間がかかるが、海岸回りを利用するのは悪くない。家から5、6分で海に出れるのだが。海岸線を走るバスだと、一箇所ではなく何箇所から海が見えるので、一箇所から見るのとは違った海の風景を楽しめる、それがいいのだよ。
何やら怪しげなメールに返信してしまい、銀行からお金を盗まれたかもしれないと思い、そのチェックに。昨日、一応、気になるカード会社には連絡をして、そのカードは使用できないようにしてもらい、新たなカードを作ってもらったのだが、それでも不安で銀行へいき、通帳記入してみた。わからない形でお金は抜き取られていなかったが。まあ、なんというか、カード時代、AI時代には完全に置いてきぼりを食らっていますな。
イスラエルとハマスが停戦、人質解放に合意したというニュースが流れているが、これで本当にイスラエルの空爆、地上部隊による攻撃が終わるとは思えない亜。ネタニヤフはなんとでも口実を設けてパレスチナを軍事攻撃するだろうし、これで、イスラエル、ネタニヤフの残虐行為が不問にされることがあってはならない。
10月9日(木) 晴れのち曇り 逗子駅まででる
スランシス・ディヴュイ・デリ&トマ・デリ著『アナーキーのこと』を読み始める。
なんとなく、“サーカス イン ザ アナーキー”なんてタイトルのサーカスショーが作れないかなと思ったりするが、具体的な何も思い浮かばない。この本は、アナーキーにも色々とあることを教えてくれるが、僕が考えているアナーキーは、無秩序、かつデタラメでもって、且つものすごくエネルギッシュな運動というかアクション、パフォーマンスのようなことで、体制、権力、権威に対して異議申し立てをして、それらを破壊するような政治的な活動というものとはあまり結びつかないというか、文化体制への反逆的というか、そこに培われている価値観を壊すような活動という感じで捉えているのだが、さて。
で、逗子のクマザワ書店まで行き、重田園江著『シン・アナキズム』(NHKブックス 2025/7/25 2,200円)を買ってしまった。アナキズムとNHKブックスって、なんか結びつかないのだが。
台風22号の影響で、このあたりの海も荒れているかなと思い、海岸周りのバスに乗ったが、海は凪いでいるというか、砂浜に打ち寄せる波が少しばかり大きいだけで、“荒れた海辺”という感じからは程遠く、ちょっと残念な気分。“荒れている海”を見るのが好きなのだが。つまりそれは無限に変化しているようで、
10月8日(木)曇り 風強し
台風22号の影響で、午前中いっぱいかなり強い風が吹いていた。しかし雨はなし。といっても台風22号が通過した八丈島は相当な被害が出ている。で、その後、23号も同じようなコースを進んでいるので、今週末には再び八丈島あたりは風、雨に襲われそうだ。
中学生の時、東京から福岡に移転し、多分、一月もたたないうちに大きな台風に見舞われて、アパートの部屋のサッシの窓ガラスの隙間から雨が滲み出てきたのを思い出す。その後、移動した一軒家でも台風に見舞われ、雨戸が風にしなったのに驚いたことも思い出す。それでも、なんとなく台風は嫌いじゃないのだが、もちろん、本格的な被害に合えば、そんかのんきなことはいってられないだろうが。
10月7日(火) 曇り
昨日買った明星聖子著『ほんとうのカフカ』を読む。カフカの本が訳本が、訳者の解釈で色々とあって、それが“ほんとう”のカフカの意味していたことかどうかといったことがいわば学術的に検証されているのだが、一読者として、まあ、いいかという気持ちになってしまう。しかも著者によれば、カフカ自身がかなり読者を迷わせるような文章を書いていたらしいので、なおのこと、正解を知ることが難しく、つまり、まあいいかという気分にさせられてしまう。学術的にはそうはいかないのだろうが。
10月6日(月)晴れのち曇 クマザワ書店に
逗子にバスででる。逗子葉山駅ビルにあるクマザワ書店に。明星聖子著『ほんとうのカフカ』(講談社選書メチエ 2024/12/10初版 2,050円税別) スランシス・ディヴュイ・デリ&トマ・デリ著『アナーキーのこと』(作品社 2025/7/25初版 2,700円税別)を買ってしまう。カフカの関連本、アナーキズム関連の本など、目についてしまうと、つい買ってしまう。帰りに鈴屋というスーパーに寄って発泡酒を購入。
早速、『ほんとうのカフカ』を読み始める。どうやら、訳されているカフカの作品は、かなり訳者の解釈で訳されているところが多いようだが、そのことを知っても、例えば『変身』のザムザが「虫」らしきものに変身してしまったことが刷り込まれているので、「虫」じゃないのと言われても、では、なんなの?と思ってしまう。で、多和田葉子は、ドイツ語の日本語読み「ウンゲツィーファー」(生け贄にできないほど汚れた動物あるいは虫)
とそのままで訳しているらしい。「虫」という訳について、様々に言われているので、ドイツ語ままのほうがいいと考えたのだろう。他の言葉を当てれば、カフカ研究者から何をいわれるか、その論争に巻き込まれるのはごめんということではないか。
逗子駅からの帰りのバスは、久しぶりに海岸回りを利用。時々、海を見たくなるのだ。
今日の海はかなり引いていた。凪いでいた。空に浮かぶ雲と青空のコンビネーションもなかなか風情があるというか、悪くない。やはり多少時間がかかるが、海岸回りを利用するのは悪くない。家から5、6分で海に出れるのだが。海岸線を走るバスだと、一箇所ではなく何箇所から海が見えるので、一箇所から見るのとは違った海の風景を楽しめる、それがいいのだよ。
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