2026-5-5(作業日誌635)
2026年 5月5日(水) 晴れ
内田樹著『沈む日本とカオス化する世界』を読了。これを読むと、日本の教育システムも企業の指導者もまるであかんようだ。そしてアメリカも没落するしかないようだ。また彼の著書には知らない熟語が色々と出てくる。パソコンを開きつつ、その言葉の意味をしる。なかなか覚えることができないのだが。
小泉悠対談集『世界の大転換』(BS出版 2026/1/24 2刷)を読む。特にその中の村野将との対談を読むと、中国との戦いを想定した場合の日本の防衛力を相当に強化しなければ対抗できないことが描かれている。なんとも厳しい話で、平和憲法を維持し対抗するためには、どれほどの外交努力が求められることか。しかし、その道を探ることしか日本の生きる道はないのではないか。どうしたらいいのか、、、。
5月4日(火) 晴れ 荒れた海
昼前にぶらりと海まで散歩。昨夜の強風、今日もまだ風はかなり強いので、好きな荒れた海が見えるかもしれないと出かける。荒れた海というのは、僕の大好きなイメージのひとつで、時折、本物の荒れた海を見たくなる。そんな荒れた海を見ることができると思い葉山の海岸へ。沖の岩礁のところに波が次々と押し寄せ、白波が次々と砕けている。その向こうの海も白波が踊っていて、遥か彼方の富士山がいくらかもやった空の向こうに顔を出している。風景的にはモヤがかかっていないほうが綺麗だろうが、モヤって見える富士山も悪くない。波打つ際を歩いている人が、3、4人。砂浜に昆布はもう打ち上げられていないようだ。
見にきてよかったと思う。しばらくそんな風景を見て、帰路へ。駐車場によってから海へ来たが、歩いた歩数は3,000歩たらず。1日に必要な歩行距離の半分程度でしかない。1日7,000歩をこなすのは、今日歩いた倍は歩かなければダメなんだと思ったりする。とにかく荒れた海を見れて、今日はいい日であったと結論づける、へ、へ、へ。
5月3日(月) 曇り夜雨、強風。
机の上に重なっているものを整理する。引き出しの一部を片付ける。少しばかり物を動かすのにどうしたら考えているうちに時間が過ぎていく。整理の向こうに書かなければならない、書きかけの小説がある。まだ、その書きかけの小説が入っているパソコンのフォルダーを開くところまでいかない。その前で躊躇している、一日が過ぎる。
夜明け前は嵐。強風にカネの雨戸がガタガタなる。ひょっとすると、重い雨戸が桟から外れてしまうのではないかと気になる。万が一外れたら、起きて、それを片付けに強風の外に行かねばならないと考え半睡半覚のうちに7時半ごろまで寝てしまった。
5月2日(日) 晴れ
昨日購入した内田樹著『沈む日本とカオス化する世界』(SB新書 2626/3/28 3版)を読み始める。何も指導しないで本人たちの自覚で練習するのをも守っているだけのサーカス学校の指導が正しいかは別にして、点数を稼ぎ評価基準に縛られ、そこをクリアする指導をおこなっている現代の学校教育が正しいかどうか、少なくとも人を育てているのではないのは確かだろう。教育とはなにかについて内田樹が語っている。そこに修行というこ言葉が出てくる。英語にはこの言葉がないそうだが、修行というのは先生の後ろ姿を見て自ら学んでいくことのようだが、確かに、それは教育とは別のものであり、まずは学ぼうとする者の自覚が求められているのではないか。
5月1日(土) ひとり飲み
一人飲みというわけではないが、大船のいろでんクリニックで前回の血液検査の結果を聞いた後、逗子に戻り逗子葉山駅ビルにあるくまざわ書店逗子店によって新書2冊を購入した後、以前、ふらりと酔ったざくろという名の肉うどん屋に入り、カウンターでホタルイカの沖漬けをあてに生ビールを飲む。その後、この店の看板メニューの肉うどんを食べる。帰りは休日なので混んでいるのを承知で、海周りの葉山行きのバスに乗る。海を見たかったのだが、その海が見えるところまでに通常だと15分ぐらいのところ道路混んでいる上、乗降客が多く30分もかかってしまった。潮は引いていて海は穏やかだが、少し波があり砂浜にはそこそこ白い波が打ち寄せていた。葉山までは45分ほどかかったか。
相変わらず右足のふくらはぎが痛むので、ずるずる引きずるようにして家に向かう。中のナマビールをいっぱい飲んだだけなのに、なんとなく酔っ払っている。はて? 昼飲みご用心ということかな。これで転んだりすると、きっと、どこか骨折するにちがいないとそんな言葉が脳裏を掠める。家に帰って昼寝する。
内田樹著『沈む日本とカオス化する世界』を読了。これを読むと、日本の教育システムも企業の指導者もまるであかんようだ。そしてアメリカも没落するしかないようだ。また彼の著書には知らない熟語が色々と出てくる。パソコンを開きつつ、その言葉の意味をしる。なかなか覚えることができないのだが。
小泉悠対談集『世界の大転換』(BS出版 2026/1/24 2刷)を読む。特にその中の村野将との対談を読むと、中国との戦いを想定した場合の日本の防衛力を相当に強化しなければ対抗できないことが描かれている。なんとも厳しい話で、平和憲法を維持し対抗するためには、どれほどの外交努力が求められることか。しかし、その道を探ることしか日本の生きる道はないのではないか。どうしたらいいのか、、、。
5月4日(火) 晴れ 荒れた海
昼前にぶらりと海まで散歩。昨夜の強風、今日もまだ風はかなり強いので、好きな荒れた海が見えるかもしれないと出かける。荒れた海というのは、僕の大好きなイメージのひとつで、時折、本物の荒れた海を見たくなる。そんな荒れた海を見ることができると思い葉山の海岸へ。沖の岩礁のところに波が次々と押し寄せ、白波が次々と砕けている。その向こうの海も白波が踊っていて、遥か彼方の富士山がいくらかもやった空の向こうに顔を出している。風景的にはモヤがかかっていないほうが綺麗だろうが、モヤって見える富士山も悪くない。波打つ際を歩いている人が、3、4人。砂浜に昆布はもう打ち上げられていないようだ。
見にきてよかったと思う。しばらくそんな風景を見て、帰路へ。駐車場によってから海へ来たが、歩いた歩数は3,000歩たらず。1日に必要な歩行距離の半分程度でしかない。1日7,000歩をこなすのは、今日歩いた倍は歩かなければダメなんだと思ったりする。とにかく荒れた海を見れて、今日はいい日であったと結論づける、へ、へ、へ。
5月3日(月) 曇り夜雨、強風。
机の上に重なっているものを整理する。引き出しの一部を片付ける。少しばかり物を動かすのにどうしたら考えているうちに時間が過ぎていく。整理の向こうに書かなければならない、書きかけの小説がある。まだ、その書きかけの小説が入っているパソコンのフォルダーを開くところまでいかない。その前で躊躇している、一日が過ぎる。
夜明け前は嵐。強風にカネの雨戸がガタガタなる。ひょっとすると、重い雨戸が桟から外れてしまうのではないかと気になる。万が一外れたら、起きて、それを片付けに強風の外に行かねばならないと考え半睡半覚のうちに7時半ごろまで寝てしまった。
5月2日(日) 晴れ
昨日購入した内田樹著『沈む日本とカオス化する世界』(SB新書 2626/3/28 3版)を読み始める。何も指導しないで本人たちの自覚で練習するのをも守っているだけのサーカス学校の指導が正しいかは別にして、点数を稼ぎ評価基準に縛られ、そこをクリアする指導をおこなっている現代の学校教育が正しいかどうか、少なくとも人を育てているのではないのは確かだろう。教育とはなにかについて内田樹が語っている。そこに修行というこ言葉が出てくる。英語にはこの言葉がないそうだが、修行というのは先生の後ろ姿を見て自ら学んでいくことのようだが、確かに、それは教育とは別のものであり、まずは学ぼうとする者の自覚が求められているのではないか。
5月1日(土) ひとり飲み
一人飲みというわけではないが、大船のいろでんクリニックで前回の血液検査の結果を聞いた後、逗子に戻り逗子葉山駅ビルにあるくまざわ書店逗子店によって新書2冊を購入した後、以前、ふらりと酔ったざくろという名の肉うどん屋に入り、カウンターでホタルイカの沖漬けをあてに生ビールを飲む。その後、この店の看板メニューの肉うどんを食べる。帰りは休日なので混んでいるのを承知で、海周りの葉山行きのバスに乗る。海を見たかったのだが、その海が見えるところまでに通常だと15分ぐらいのところ道路混んでいる上、乗降客が多く30分もかかってしまった。潮は引いていて海は穏やかだが、少し波があり砂浜にはそこそこ白い波が打ち寄せていた。葉山までは45分ほどかかったか。
相変わらず右足のふくらはぎが痛むので、ずるずる引きずるようにして家に向かう。中のナマビールをいっぱい飲んだだけなのに、なんとなく酔っ払っている。はて? 昼飲みご用心ということかな。これで転んだりすると、きっと、どこか骨折するにちがいないとそんな言葉が脳裏を掠める。家に帰って昼寝する。
この記事へのコメント