2026-5-25(作業日誌640)
2026年 5月25日(曇り) 初台へ
ひびきみかのスタジオ“テアトロ路地(?)へ。IDTF参加作品のリハというか作品ができたというので、それを見せてもらう。この作品のために、原案のようなものを渡してあるが、それはあくまでこの回の作品作りのための参考資料のようなもので、僕としては前回、彼女にもでてもらった『ガザ・劇場・穿つ』の延長にある、原爆で被爆した世界のなにを今も自分のイメージとして心にと留めているかを書いたものだ。ただ、このことをきちんと書くとなると、かなり大変な作業になりしかもできる可能性も大きくないので、思いつくまま、簡素に表現しようとしたものでしかない。ただ『ガザ〜』で、イスラエルの爆撃で亡くなった子供達が白い布に包まれて母親に抱かれている、その白い布に包まれた亡骸を、三体ほど舞台にあげ、しかもその三体は芝居が終わったからといって破棄したのではなく、群馬のサーカス資料館の棚に収めてあるが、その延長上で書き留めたものである。これをどのようにひびきが彼女の身体を使った表現するか。
彼女の身体は被爆後の人々の姿を描き、かつジョージ・オウエルの文章を朗読していた。ギリギリのチャレンジをしている印象だ。
5月24日(日)晴れ 草むしり
というか、石垣の蔓草のように粘りついている植物を剥がす。
九月のサーカス公演のゲラを校正する。まだひとつ未決のことがあり、その連絡はこない。今月いっぱいには連絡が入るはずなのだが。そうなったらどうするか。代案は思いつかない。
5月23日(土)曇り
ぐだぐだと一日が過ぎてしまう。『リュックサック背負って』、全く進まず。くそったれである。
5月22日(金)雨のち曇り 自宅
天気が悪く地面が濡れているので、草むしりはなし。でも、どんどん伸びている。蕗の収穫はほぼ終わり。次に顔を覗かせるのは茗荷だが、まだ、顔を出していない。ここ葉山ではでるのが遅いのかな。ともあれこの時期は蕗と茗荷が我が家の庭で収穫できる野の野菜だ。
サーカス村の道端には、タラノキが多く芽を摘むことができるのだが、なんとなく収穫時期を逃してしまう。するとたちまち、葉になってしまう。
5月21日(木) 雨 自宅
ボーとしているうちに一日が過ぎてしまったが、新聞切り抜きをしているうちに、いつもどこか焦っている気持ちがゆらめいているが、なぜかそれがふわっとという感じで消えているような気がする。まだ、完全に焦る気持ちが消滅したわけではないが、とにかくこの焦りの気持ちが霧散してくれたのではあれば、なんとも有難いことだ。といって書きあぐねている小説にイラついている気持ちが消えてしまうわけはないので、ここはむしろこの焦る気持ちがおとなしくしている間に、少しでも書いていきたい。書きたいのだが、さて、できるかどうか。どちらにしろ、今のこの気持ちの緩やかな感じは大切にしたいと思っている。
ひびきみかのスタジオ“テアトロ路地(?)へ。IDTF参加作品のリハというか作品ができたというので、それを見せてもらう。この作品のために、原案のようなものを渡してあるが、それはあくまでこの回の作品作りのための参考資料のようなもので、僕としては前回、彼女にもでてもらった『ガザ・劇場・穿つ』の延長にある、原爆で被爆した世界のなにを今も自分のイメージとして心にと留めているかを書いたものだ。ただ、このことをきちんと書くとなると、かなり大変な作業になりしかもできる可能性も大きくないので、思いつくまま、簡素に表現しようとしたものでしかない。ただ『ガザ〜』で、イスラエルの爆撃で亡くなった子供達が白い布に包まれて母親に抱かれている、その白い布に包まれた亡骸を、三体ほど舞台にあげ、しかもその三体は芝居が終わったからといって破棄したのではなく、群馬のサーカス資料館の棚に収めてあるが、その延長上で書き留めたものである。これをどのようにひびきが彼女の身体を使った表現するか。
彼女の身体は被爆後の人々の姿を描き、かつジョージ・オウエルの文章を朗読していた。ギリギリのチャレンジをしている印象だ。
5月24日(日)晴れ 草むしり
というか、石垣の蔓草のように粘りついている植物を剥がす。
九月のサーカス公演のゲラを校正する。まだひとつ未決のことがあり、その連絡はこない。今月いっぱいには連絡が入るはずなのだが。そうなったらどうするか。代案は思いつかない。
5月23日(土)曇り
ぐだぐだと一日が過ぎてしまう。『リュックサック背負って』、全く進まず。くそったれである。
5月22日(金)雨のち曇り 自宅
天気が悪く地面が濡れているので、草むしりはなし。でも、どんどん伸びている。蕗の収穫はほぼ終わり。次に顔を覗かせるのは茗荷だが、まだ、顔を出していない。ここ葉山ではでるのが遅いのかな。ともあれこの時期は蕗と茗荷が我が家の庭で収穫できる野の野菜だ。
サーカス村の道端には、タラノキが多く芽を摘むことができるのだが、なんとなく収穫時期を逃してしまう。するとたちまち、葉になってしまう。
5月21日(木) 雨 自宅
ボーとしているうちに一日が過ぎてしまったが、新聞切り抜きをしているうちに、いつもどこか焦っている気持ちがゆらめいているが、なぜかそれがふわっとという感じで消えているような気がする。まだ、完全に焦る気持ちが消滅したわけではないが、とにかくこの焦りの気持ちが霧散してくれたのではあれば、なんとも有難いことだ。といって書きあぐねている小説にイラついている気持ちが消えてしまうわけはないので、ここはむしろこの焦る気持ちがおとなしくしている間に、少しでも書いていきたい。書きたいのだが、さて、できるかどうか。どちらにしろ、今のこの気持ちの緩やかな感じは大切にしたいと思っている。
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