2026-6-30(作業日誌646)
6月30日(火)晴れのち曇り 自宅
今日はシアターXにいく必要がないので、朝4時からのワールドカップ・ブラジル戦を見てしまった。はい、2対1で負けました。まあ、負けるだろうなと思っていたので、個人的にはショックなし。ワールドカップそのものについて、マスコミが異常なほど盛り上げること(実際どうなのかは知らないが)にうんざりしているので、ああ、負けましたかと言った感じなのだが、見ている時はそれなりに興奮していたかな。まあ、声は出さないけどね。
6月29日(月)曇り シアターX
連チャンのシアターX通い。今日はひびきみかの稽古に付き合うため。付き合うと言ってショーの終わりに、“声”の出演をしなければならないので、付き合うという言い方は間違っているのだが。
ただ声出演したくないと伝えているのに、聞いてもらえず、これまでの練習でなんかいもわざと間違えたり、本当に間違えたりしたが、効果なし。ついには、“カンペ”まで用意されてしまって、いやはやなんとも。
彼女が作品を作ることに真剣なのは痛いほどわかるが、この後ご一緒はご勘弁というところ。
6月28日(日)雨&曇り 今日もシアターXに
本日のIDTFは以下の4作品。
古賀豊作作・振付 Dnace Monster 『Voila!』(群舞)
菊地ぴよ作 『日々の根・・・林といる』(群舞)
清水知恵ソロ『Existenceーto be there』
江原朋子作『人類はもまちがっていなかった』(群舞)
どの群舞作品もあまり感銘を受ける作品ではなかったが、仲間と踊るという、そのようなグループとして活動しているのは、それなりに意味があるだろう。
清水知恵さんの作品は、コツコツと自分の踊る世界を作り続けていることが伝わってくる。独善的なところにはまり込まずに、作品を作り続けるというのはそれなりにダンスのの世界を広げていることになるのだろうか、という感じを思った。
終演後、デザイナーの斎藤貴朗さんと“あけぼの‘で飲む。ひさしぶりの居酒屋に入った。
生ビール1杯ホッピー3杯で、いい気分に。これ以上飲むと、足元が危ないかな。歳であるっていうこと。まあ、まだ飲める身体であることはラッキーであるよな。
6月27日(土) 雨 シアターX
11時土砂降りの中、シアターXに。
今日は韓国から来日公演に見えているソン・チェウォン振付・演出の『脆い人間』。3本の作品が行われた。どの作品もエネルギッシュで見応えがあった。どの作品も出演者が絡み合っていて、稽古中、打ち身など打撲傷が絶えなかったのでないかと思えたほどだ。
あまりダンス公演を見ていないので、はっきりしたことは言えないが、最近の日本の作品にはこれほどストレートに体をぶつけ合う作品は少ないないのではないないかと思えたが、、。さて、どんなものだろうか。
もうひとつは、武井よしみちさんの『足が耕す表現の世界2026』で、4本足から2本足2本手に進化した人類を、端的に表現していた。気持ちよく見れるのが不思議だった。
夕食、自宅近くの蕎麦屋で娘夫婦がご馳走してくれた。ちょっと、塩分が強すぎ。以前はそんなことはなかったような気がするのだが。
6月26日(金)雨 葉山一色郵便局へ
散歩がてらにと、家を出たら雨に。一旦、家に戻り傘を差して郵便局に。
葉山一色郵便局は片道約15分ほど。つまり往復30分ほどで、まあまあの散歩になる。右足のくるぶしの痛みは歩く一歩一歩で痛むので、長距離は歩けないのでやんす。しかし杖に世話になるほどではないので、なんとかこの状態をキープしたいと願っている。
小一時間ほど歩けるようになるといいのだが。小一時間ほど歩いたのは、4月か。歯医者の帰り、バスを使わず歩いた時だ。
で話は別のこと。小説『リヤカーとサーカス』を書き上げたのが、昨年の5月。で、それから『カラのリュックサックをかついで』を書き始めているが、とんと書き進められていない。で、丸一年以上がたってしまった。情けないやら悔しいやら。ド阿呆!なんとかせんかい!と、自分に叱咤激励の檄を飛ばしてみる。
今日になっても、昨日見た高瑞貴のダンスが気になっている。来年のきらりの公演にでてもらえないかと思うが、さて。きらり公演は、エンターティメントの世界で、アートの世界ではないので、彼女が受け入れるかわからないのだが、僕としても、エンターティメントを楽しみに来ている人々に、彼女の踊りをぶつけてみたい気がするのだ。土方、大野の、ジャンル的には暗黒舞踏の踊りを、エンターティメントの世界にぶちこんでも、どこかで反発されるような気がするが、高瑞貴の踊りは、その踊りを楽しむことができるような、どこかで納得してもらえるのではないかと思うのだが、さて。
*
ボリス・ヴィアン著『北京の秋』を読み終えたが、十分に楽しむというか味わうことができなかった。つまり自分にはそれほど面白い小説でなかったということ。但し、通勤のバスになんとか乗ったこと思ったら、砂漠に連れて行かれ、そこで鉄道敷設の工事現場に長込まれ、そこには何人もの変わった人々がいて、彼と同行した男女の愛の世界など、なんともへんてこりんな逸話が書き込まれていることには、その非論理的というか出鱈目さというか、その書きっぷりは学ぶところがあったかもしれない。とにかく、丁寧の字面を追ったことは間違いないのだが。
今日はシアターXにいく必要がないので、朝4時からのワールドカップ・ブラジル戦を見てしまった。はい、2対1で負けました。まあ、負けるだろうなと思っていたので、個人的にはショックなし。ワールドカップそのものについて、マスコミが異常なほど盛り上げること(実際どうなのかは知らないが)にうんざりしているので、ああ、負けましたかと言った感じなのだが、見ている時はそれなりに興奮していたかな。まあ、声は出さないけどね。
6月29日(月)曇り シアターX
連チャンのシアターX通い。今日はひびきみかの稽古に付き合うため。付き合うと言ってショーの終わりに、“声”の出演をしなければならないので、付き合うという言い方は間違っているのだが。
ただ声出演したくないと伝えているのに、聞いてもらえず、これまでの練習でなんかいもわざと間違えたり、本当に間違えたりしたが、効果なし。ついには、“カンペ”まで用意されてしまって、いやはやなんとも。
彼女が作品を作ることに真剣なのは痛いほどわかるが、この後ご一緒はご勘弁というところ。
6月28日(日)雨&曇り 今日もシアターXに
本日のIDTFは以下の4作品。
古賀豊作作・振付 Dnace Monster 『Voila!』(群舞)
菊地ぴよ作 『日々の根・・・林といる』(群舞)
清水知恵ソロ『Existenceーto be there』
江原朋子作『人類はもまちがっていなかった』(群舞)
どの群舞作品もあまり感銘を受ける作品ではなかったが、仲間と踊るという、そのようなグループとして活動しているのは、それなりに意味があるだろう。
清水知恵さんの作品は、コツコツと自分の踊る世界を作り続けていることが伝わってくる。独善的なところにはまり込まずに、作品を作り続けるというのはそれなりにダンスのの世界を広げていることになるのだろうか、という感じを思った。
終演後、デザイナーの斎藤貴朗さんと“あけぼの‘で飲む。ひさしぶりの居酒屋に入った。
生ビール1杯ホッピー3杯で、いい気分に。これ以上飲むと、足元が危ないかな。歳であるっていうこと。まあ、まだ飲める身体であることはラッキーであるよな。
6月27日(土) 雨 シアターX
11時土砂降りの中、シアターXに。
今日は韓国から来日公演に見えているソン・チェウォン振付・演出の『脆い人間』。3本の作品が行われた。どの作品もエネルギッシュで見応えがあった。どの作品も出演者が絡み合っていて、稽古中、打ち身など打撲傷が絶えなかったのでないかと思えたほどだ。
あまりダンス公演を見ていないので、はっきりしたことは言えないが、最近の日本の作品にはこれほどストレートに体をぶつけ合う作品は少ないないのではないないかと思えたが、、。さて、どんなものだろうか。
もうひとつは、武井よしみちさんの『足が耕す表現の世界2026』で、4本足から2本足2本手に進化した人類を、端的に表現していた。気持ちよく見れるのが不思議だった。
夕食、自宅近くの蕎麦屋で娘夫婦がご馳走してくれた。ちょっと、塩分が強すぎ。以前はそんなことはなかったような気がするのだが。
6月26日(金)雨 葉山一色郵便局へ
散歩がてらにと、家を出たら雨に。一旦、家に戻り傘を差して郵便局に。
葉山一色郵便局は片道約15分ほど。つまり往復30分ほどで、まあまあの散歩になる。右足のくるぶしの痛みは歩く一歩一歩で痛むので、長距離は歩けないのでやんす。しかし杖に世話になるほどではないので、なんとかこの状態をキープしたいと願っている。
小一時間ほど歩けるようになるといいのだが。小一時間ほど歩いたのは、4月か。歯医者の帰り、バスを使わず歩いた時だ。
で話は別のこと。小説『リヤカーとサーカス』を書き上げたのが、昨年の5月。で、それから『カラのリュックサックをかついで』を書き始めているが、とんと書き進められていない。で、丸一年以上がたってしまった。情けないやら悔しいやら。ド阿呆!なんとかせんかい!と、自分に叱咤激励の檄を飛ばしてみる。
今日になっても、昨日見た高瑞貴のダンスが気になっている。来年のきらりの公演にでてもらえないかと思うが、さて。きらり公演は、エンターティメントの世界で、アートの世界ではないので、彼女が受け入れるかわからないのだが、僕としても、エンターティメントを楽しみに来ている人々に、彼女の踊りをぶつけてみたい気がするのだ。土方、大野の、ジャンル的には暗黒舞踏の踊りを、エンターティメントの世界にぶちこんでも、どこかで反発されるような気がするが、高瑞貴の踊りは、その踊りを楽しむことができるような、どこかで納得してもらえるのではないかと思うのだが、さて。
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ボリス・ヴィアン著『北京の秋』を読み終えたが、十分に楽しむというか味わうことができなかった。つまり自分にはそれほど面白い小説でなかったということ。但し、通勤のバスになんとか乗ったこと思ったら、砂漠に連れて行かれ、そこで鉄道敷設の工事現場に長込まれ、そこには何人もの変わった人々がいて、彼と同行した男女の愛の世界など、なんともへんてこりんな逸話が書き込まれていることには、その非論理的というか出鱈目さというか、その書きっぷりは学ぶところがあったかもしれない。とにかく、丁寧の字面を追ったことは間違いないのだが。
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